2009.07.04
解雇規制や、国による大会社の救済はなぜうまくいかないのか
アンソニー・ギデンズは、「急速に社会が変化している時代には、『仕事』を守るのではなく、『人』を守らなければならない」と語っているという

「仕事を守る」アプローチを具現化したものが、会社に対して解雇を厳しく制限する解雇規制である。解雇規制は、会社に対して雇用をためらわせたり、どんな人を雇用するかという意思決定を変質させる。また実際の費用の上でも、働きの悪い社員を雇用しつづけなければならないコストによって、新しい雇用を生み出すことがそのぶん難しくなり、またそのコストは雇用だけでなく経営全体に波及し、会社自体の生産性を下げる。個々の会社の雇用が多数集まって「国の雇用」になり、個々の会社の生産性が多数集まって「国の生産性」になるのだから、解雇規制は「国の雇用」や「国の生産性」に影響を与えないわけにはいかない。

この「仕事を守る」アプローチの規模をより大きくしたものが、最近よく見かける「国による大会社の救済」である。市場原理に任せておけば潰れるはずの会社を、国が税金を投入して「会社を守る」わけだ。これによって、その大会社の事業や雇用を一時的には守れるかもしれないが、もはや市場環境自体が、その会社が生き残れないようなものになっている以上、その会社の経営体質が多少改善したところで、継続的に利益を出せるようになる「復活」はまず望めない。結局、投入された税金はあっというまに食いつぶされて、遅かれ早かれ「やっぱり潰れました」という結果になる可能性が大きい。

解雇規制という「仕事を守る」アプローチ、そして国による大会社の救済という「会社を守る」アプローチは、なぜうまくいかないのか。それは結局のところ、「市場に歯向かっている」からだ。

市場というのは、市場に参加している「買い手」としての個人や企業がどう思っているか、「これは欲しい」「これはいらない」という個々の意思決定、個々の市場行動が、多数集まったものである。その市場に対して、「売り手」としての個人(労働者)や企業は、その需要を満たす商品やサービスを供給する。

解雇規制や国による大会社の救済とは、この市場に国が強制的に介入し、「買い手」のいない「売り手」を救済することだ。「買い手」がいないということは、本来必要とされていないということだが、それを国が税金によって無理やり「買う」わけだ。解雇規制の場合、国が直接「買う」のではなく、規制によって「企業に買わせる」ことで、国はコスト負担を企業に押し付けている格好になるが、「買い」を無理やり生み出しているという意味では同じだ。

このように、「仕事を守る」「会社を守る」アプローチとは、国が大きな「買い手」として市場に介入することだ。しかし、その国が「買う」原資はもちろん税金である。つまり結局のところ、国が「買い」を無理やり生み出すとき、それを「買わされている」のは私たちなのだ。

本来、私たちは「これは欲しい」「これはいらない」という意思決定を自分でおこなう。これが「自由」だ。この自由が奪われて、無理やり「買わされる」のが税金である。税金は強制的で、その行政サービスを買うか、買わないかを自分で判断することはできない。

もし仮に、私たち全員が「これは買ってもいい」と思える行政サービスだけでできていて、一切ムダがないような政府があったら、理想的だろう。いまの日本政府は、その「一切ムダがない」状態からはほど遠いものだ。

「仕事を守る」「会社を守る」アプローチは市場への強制介入であり、市場を変質させるとともに、私たちは「買い手」のいない「売り手」を無理やり「買わされ」て、購買力という「自由」を奪われる。よって、「仕事を守る」「会社を守る」アプローチは採るべきでない。

では、会社をクビになったり、会社が倒産して職を失った人は、一切救済されないのだろうか。そんなことはなく、それをおこなうのが最低所得保障(ベーシック・インカムや負の所得税)などのセーフティネットであり、これがアンソニー・ギデンズの言う「人を守る」アプローチだ。

会社をクビになったり、会社が倒産して職を失う、というリスクは誰にでもあるので、そのリスクに備えたいという「需要」は確実にある。つまり、この「需要」にきちんと応えるようなものであれば、行政サービスであれ、民間の保険であれ、それに対してお金を払うことには納得感がある。

最低所得保障などのセーフティネットは、公正さを保つ設計や、どのように運用するかといった詳細が重要であり、「名ばかりセーフティネット」では、またもや税金のムダ使いに終わることになる。しかし正しく設計・運用されれば、「需要」に応えられるものになりうる。

解雇規制を支持する人は、「失業者を出したくない」という善意や理念自体はいいのだが、それを「仕事を守る」アプローチによって実現しようとする、その「方法」が間違っている。同じように、大会社を救済すべしという「会社を守る」アプローチを支持する人も、雇用や国の産業を壊滅させたくないという気持ちはわかるにしても、その代償や副作用の大きさを理解していない。解雇規制も大企業救済も、無理やり「買い手」を生み出すという、「市場を歪曲するアプローチ」なのだ。

これに対して、最低所得保障などのセーフティネットは、ちゃんと「需要」がある、つまり多くの人が「欲しい」もの、「売れる」ものなのだ。だから、このサービスを政府が提供したとしても、それほど市場を歪曲しない。アンソニー・ギデンズが「仕事を守る」のではなく「人を守る」アプローチを薦めたり、北欧諸国が「フレキシキュリティ」政策(解雇を規制せず、社会保障を重視)を採っているのは、このためなのだ。


関連エントリ:
アンソニー・ギデンズ「急速に社会が変化している時代には、『仕事』を守るのではなく、『人』を守らなければならない」
http://mojix.org/2009/06/18/giddens_shigoto
米政府はビッグ3を救済すべきでない
http://mojix.org/2008/11/10/us_big3
解雇規制という「間違った正義」
http://mojix.org/2009/01/20/kaikokisei_wrong_justice
セーフティネットは会社の外に置き、「身分制度」をなくせ
http://mojix.org/2008/06/14/break_employment_hierarchy