日本には「バカと天才は紙一重」タイプの人材が足りない
愛の日記 @ ボストン - 総合偏差値が30台でもハーバードMBAには入れる
http://yokichi.com/2010/02/mba-for-dummies.html
<僕は大学受験時の総合偏差値が30台で、最終学歴はハーバードのMBAである。そんな僕から言わせてもらうと、バカは東大には入れないけど、HBSには入れるかもしれない>。
<バカが天才と勝負するには、ひとつの戦略しかない。それはバカのひとつ覚えだ。そして、東大に入るにはあれもこれも覚えていないと入れないが、HBSにはすごいことを一つ覚えていれば入れる。腕ききの医師でも、トップダンサーでも、プロスポーツ選手でも、すごければ入れる。他の上位校でも一緒>。
<ちなみに、偏差値みれば一発でわかるが僕は勉強が嫌いだ。特に暗記はやってもやってもやってもやってもできない。このブログに来てくれているほとんどの皆様より勉強ができない自信がある。皆様のような頭のいい人に僕の気持ちなんてわからんだろう、ぐらいに思っている>。
<僕はとにかく、嫌いなこと、納得できないこと、興味がないことはできないので、普通の人がやることの多くができない。体育会系の上下関係には一秒も耐えられない。友達でもないのに芸能人の名前など覚えられない。飲めないのに合コンで知らない人に金払いに行くなんてできない。何に使うかわからないお勉強の知識など頭にまったく入ってこない>。
<バカの一つ覚えをやるためには、フォーカスしている事以外を大胆に切り落とす覚悟が必須だ。二兎も三兎も追えない。自分にとって優先度が低ければ会社の話も上司の話もガン無視する必要がある時もあるし、優先度が高いなら、同窓会を断って徹夜しながら修羅場をくぐらなければならないこともあるが、人のアドバイスに惑わされずバッサバッサと切っていかねばならない>。
私も興味のないことはまったく頭に入らないタイプで、誰でも知っているようなことがたくさん抜けている人間なので、とても共感できる内容だ。
しかし私から見ると、ブログ主の古賀さんは決して「バカ」ではない。こういう「こだわりの強さ」、「好きなことはとことんやるが、好きじゃないことは絶対やらない」タイプは、ただの「バカ」ではない。この種の「バカ」は、「野球バカ」などと言うときの「バカ」であり、いわば「クレイジー」なわけだ。これはむしろ、「天才」に近いと思う。まさに「バカと天才は紙一重」というやつだ。
私はHBSの採用基準については知らないが、古賀さんの記述からすると、まさに「バカと天才は紙一重」タイプを採るのだろう。だから古賀さんが通るわけだ。
日本の教育の弱みのひとつは、こういう「バカと天才は紙一重」タイプを見つけたり、伸ばしたりするのに向いていないところだろう。教育だけでなく、日本の社会自体がそうだが、「みんないっしょ」が良しとされるので、飛びぬけた才能や個性は、どちらかというと潰される傾向にある。
日本の教育は、型にはまった課題、答えの決まっている問題を早く、たくさん解くばかりだ。いわば「大量生産装置」みたいな教育である。これだと、与えられたことを高能率で処理する「秀才」は生むことができても、未知の問題に突っ込んでいく「バカと天才は紙一重」タイプは生まれにくい。
官僚や大企業の社員には、優秀な「秀才」タイプが多いと思う。その優秀な人たちが、いわば「日本を支えている」わけだ。しかし、このタイプは優秀であり、それなりの立場もあるので、「日本を変える」ことは逆になかなかできない。「日本を変える」ために立ち上がることは、自分のいまの立場も危険にさらすことになるからだ。
「日本を変える」ことができるのは、もともと失うものがない人や、立場を持っていてもそれを捨てる覚悟のある人だろう。「利口さ」よりも「無謀さ」が上回る、ドンキホーテのような人だ。これは「秀才」というよりも、「バカと天才は紙一重」のタイプに近い。
アメリカ、とりわけシリコンバレーやウォールストリートなどは、この「バカと天才は紙一重」タイプであふれているのだろう。いわゆるハッカー、ギーク(コンピュータオタク)はほとんどこれだし、起業家や投資家といった人種にも、日本的な基準でいうと「変人」にあたる人がたくさんいそうだ。
「バカと天才は紙一重」タイプの人材、ひとことでいえば「変人」こそ、アメリカの力であり、イノベーションの源泉だという気がする。日本に足りないのはこのタイプの人材だ。
関連エントリ:
「主観恐怖症」の日本
http://mojix.org/2009/10/11/shukan_kyoufu
アメリカ人は「希望駆動型」、日本人は「危機感駆動型」
http://mojix.org/2009/07/31/us_kibou_jp_kiki
「ユニークな能力」 と 「スタンダードな能力」
http://mojix.org/2005/12/19/070735
http://yokichi.com/2010/02/mba-for-dummies.html
<僕は大学受験時の総合偏差値が30台で、最終学歴はハーバードのMBAである。そんな僕から言わせてもらうと、バカは東大には入れないけど、HBSには入れるかもしれない>。
<バカが天才と勝負するには、ひとつの戦略しかない。それはバカのひとつ覚えだ。そして、東大に入るにはあれもこれも覚えていないと入れないが、HBSにはすごいことを一つ覚えていれば入れる。腕ききの医師でも、トップダンサーでも、プロスポーツ選手でも、すごければ入れる。他の上位校でも一緒>。
<ちなみに、偏差値みれば一発でわかるが僕は勉強が嫌いだ。特に暗記はやってもやってもやってもやってもできない。このブログに来てくれているほとんどの皆様より勉強ができない自信がある。皆様のような頭のいい人に僕の気持ちなんてわからんだろう、ぐらいに思っている>。
<僕はとにかく、嫌いなこと、納得できないこと、興味がないことはできないので、普通の人がやることの多くができない。体育会系の上下関係には一秒も耐えられない。友達でもないのに芸能人の名前など覚えられない。飲めないのに合コンで知らない人に金払いに行くなんてできない。何に使うかわからないお勉強の知識など頭にまったく入ってこない>。
<バカの一つ覚えをやるためには、フォーカスしている事以外を大胆に切り落とす覚悟が必須だ。二兎も三兎も追えない。自分にとって優先度が低ければ会社の話も上司の話もガン無視する必要がある時もあるし、優先度が高いなら、同窓会を断って徹夜しながら修羅場をくぐらなければならないこともあるが、人のアドバイスに惑わされずバッサバッサと切っていかねばならない>。
私も興味のないことはまったく頭に入らないタイプで、誰でも知っているようなことがたくさん抜けている人間なので、とても共感できる内容だ。
しかし私から見ると、ブログ主の古賀さんは決して「バカ」ではない。こういう「こだわりの強さ」、「好きなことはとことんやるが、好きじゃないことは絶対やらない」タイプは、ただの「バカ」ではない。この種の「バカ」は、「野球バカ」などと言うときの「バカ」であり、いわば「クレイジー」なわけだ。これはむしろ、「天才」に近いと思う。まさに「バカと天才は紙一重」というやつだ。
私はHBSの採用基準については知らないが、古賀さんの記述からすると、まさに「バカと天才は紙一重」タイプを採るのだろう。だから古賀さんが通るわけだ。
日本の教育の弱みのひとつは、こういう「バカと天才は紙一重」タイプを見つけたり、伸ばしたりするのに向いていないところだろう。教育だけでなく、日本の社会自体がそうだが、「みんないっしょ」が良しとされるので、飛びぬけた才能や個性は、どちらかというと潰される傾向にある。
日本の教育は、型にはまった課題、答えの決まっている問題を早く、たくさん解くばかりだ。いわば「大量生産装置」みたいな教育である。これだと、与えられたことを高能率で処理する「秀才」は生むことができても、未知の問題に突っ込んでいく「バカと天才は紙一重」タイプは生まれにくい。
官僚や大企業の社員には、優秀な「秀才」タイプが多いと思う。その優秀な人たちが、いわば「日本を支えている」わけだ。しかし、このタイプは優秀であり、それなりの立場もあるので、「日本を変える」ことは逆になかなかできない。「日本を変える」ために立ち上がることは、自分のいまの立場も危険にさらすことになるからだ。
「日本を変える」ことができるのは、もともと失うものがない人や、立場を持っていてもそれを捨てる覚悟のある人だろう。「利口さ」よりも「無謀さ」が上回る、ドンキホーテのような人だ。これは「秀才」というよりも、「バカと天才は紙一重」のタイプに近い。
アメリカ、とりわけシリコンバレーやウォールストリートなどは、この「バカと天才は紙一重」タイプであふれているのだろう。いわゆるハッカー、ギーク(コンピュータオタク)はほとんどこれだし、起業家や投資家といった人種にも、日本的な基準でいうと「変人」にあたる人がたくさんいそうだ。
「バカと天才は紙一重」タイプの人材、ひとことでいえば「変人」こそ、アメリカの力であり、イノベーションの源泉だという気がする。日本に足りないのはこのタイプの人材だ。
関連エントリ:
「主観恐怖症」の日本
http://mojix.org/2009/10/11/shukan_kyoufu
アメリカ人は「希望駆動型」、日本人は「危機感駆動型」
http://mojix.org/2009/07/31/us_kibou_jp_kiki
「ユニークな能力」 と 「スタンダードな能力」
http://mojix.org/2005/12/19/070735