2010.02.19
「べき論」と規制
日本の規制には、「べき論」をそのまま規制にしたようなものがある。

解雇規制は、「会社は社員を解雇せず、ずっと雇いつづけるべきだ」という「べき論」をそのまま規制にしたものである。

借地借家法は、「大家は賃借人を追い出さず、家賃滞納や迷惑行為をガマンすべきだ」という「べき論」をそのまま規制にしたものである。

「べき論」をそのまま規制にすれば、その「べき論」の目的を達成できるのだろうか。あるいは達成できるとしても、それによって別の悪影響を生み出して、トータルではいっそう状況を悪化させることがないだろうか。

例えば、「人間は早寝早起きすべきである」という「べき論」から、「生活時間規制」を作ったらどうなるだろうか。

生活時間規制では、「朝7時には起きていなければならない」「夜11時には寝ていなければならない」といったルールがある。役人が抜き打ちで見回りに来て、朝起きていなかったり、夜寝ていなかったりすれば、罰が与えられるのだ。

こんな規制ができたら、朝7時には起きて、夜11時には寝る人が一応増えることは間違いない。しかし、あまりにも不自由で、生活の満足度や幸福度は大きく下がるだろう。仕事や遊びの自由度・柔軟性が大きく失われるので、社会はむしろ秩序を失い、混乱に陥るだろう。

「べき論」の内容自体はそれなりに妥当な場合でも、それを規制でルール化してしまうと、きわめて影響が大きい。仮に部分最適になっても、全体最適が失われてしまい、システム全体としては悪化する可能性がある。システムというものは、各部分の有機的連携で成立しているので、そのごく一部に制約を課すだけでも、全体のふるまいが変わりうる。

そもそも「べき論」とは何かというと、人間の行動や考え方に対して、ある種の傾向が望ましい、あるいは望ましくない、という主張・信念だ。つまり、人間の行動や考え方を「ある方向に動かす」ことが、「べき論」の目的である。

人間の行動や考え方を「ある方向に動かす」には、大きく次の2つの方法がある。

1)それを強制する
2)みずからそれをしたいと思わせる

「べき論」をそのまま規制にするのは、言うまでもなく、このうち1)のアプローチである。

いっぽう2)のアプローチが、いわゆる「インセンティブ(誘因、動機づけ)」だ。

子供にもっと勉強させたいとき、怒鳴ったり、罰を与えるのが1)で、成果を出したらごほうびをあげたり、勉強の面白さに気づかせるのが2)だ。

子供でなくても、人間は誰だって、「強制」されるのは嫌いである。よって大抵の場合は、「インセンティブ」アプローチのほうがうまくいく。そもそも、自分の子供でもない限り、他人にふつう「強制」はできない。成人に対して合法的に強制できる存在は、政府だけである。

「べき論」をそのまま規制にするのは、2)の「インセンティブ」アプローチではなく、1)の「強制」アプローチである。これによって「べき論」が本来目指している目的が達成できるのかは、疑わしい。

また、規制は「強制」のかたちを取るので、個人の自由や、合意した2者による契約の自由を侵害している可能性がある。こういったものは、より原理的なルールである憲法で保証されるレベルの基本的な自由だ。政府による安易な規制は、憲法違反になっている可能性がある。

結局のところ、「べき論」をそのまま規制にすることには、主に2つの問題がある。

1)手法・制度設計の問題:その「べき論」の目的を達成するために、「インセンティブ」アプローチより勝るのかどうか疑わしい。
2)権利侵害の問題:個人の自由や契約の自由を侵害する可能性がある。

この2つの問題があるにもかかわらず、「べき論」がそのまま規制になったようなものが日本に少なくない理由は、

1)主に経済学的見識の不足により、「強制」アプローチがシステム全体に生み出す弊害・副作用が理解されていない
2)個人の自由や契約の自由を尊重する意識が希薄

の2つだろう。この2つの「無知」によって、上の2つの問題に気づかなくなるわけだ。


関連エントリ:
リバタリアニズムのキモは「強制しない」こと
http://mojix.org/2010/01/23/libertarianism_kimo
「法学的思考」と「経済学的思考」
http://mojix.org/2009/10/06/hougaku_keizaigaku
終身雇用という考え方が間違っているのではなく、終身雇用を強制することが間違っている
http://mojix.org/2009/01/29/shuushinkoyou_kyousei