2009.01.29
終身雇用という考え方が間違っているのではなく、終身雇用を強制することが間違っている
モトログ - 日本の転職しにくさは、解雇規制のせいじゃないと思う
http://d.hatena.ne.jp/kagakaoru/20090128/1233155296

<解雇規制を取り払ったら、転職できる考え方の人とそうでない人の格差が開くだけで日本経済にとっていいことなんてほとんどないと思う。(ちなみに僕は転職できない方の考え方でした。)>

「転職できない方の考え方」の人はたくさんいると思う。「転職できる考え方」の人のほうが少ないかもしれない。

「終身雇用のほうがいい」という労働者はたくさんいるし、「終身雇用のほうがいい」と考える経営者もたくさんいると思う。

私は労働者としても、経営者としても、「終身雇用のほうがいい」という考え方には共感できないが、終身雇用というモデルもひとつの方法であって、そのような考え方自体が「間違っている」とは思わない。

「終身雇用のほうがいい」という労働者は、「終身雇用のほうがいい」と考える経営者の会社に就職すれば、きっと相性がいい。給料は安めで、職場には働かない人もいるだろうが、絶対にクビにならないという安心感はあるだろう。

いっぽう私のように「終身雇用でないほうがいい」という労働者は、「終身雇用でないほうがいい」と考える経営者の会社に就職すれば、きっと相性がいい。競争主義で、自分も解雇されるリスクがあるが、働かない人はいなくて、給料も高めだ。

どちらを選ぶかは、リスクとリターンのバランスにおいてどのくらいリスクを許容できるか、また「平等」と「競争」のどちらが快適か、という自分の好み・適性の話だろう。何が「インセンティブ」になるかは、人によって違うわけだ。

どちらの考え方・好みも許されるべきなのに、いまの日本では、国が会社に対して終身雇用を強制してしまっている。これが問題なのだ。経営者側が「終身雇用でない」ほうのモデルを選択できないので、労働者側もそのモデルのメリットを得られない。

終身雇用という考え方が間違っているのではなく、終身雇用を強制することが間違っているのだ。

<じゃあどうなるかっていうと、いまの派遣村と同じ話の流れで生活保護ってことになると解雇さえしなければ納税者だった人が途端に税金を使う人になってしまう。これは納税者すなわち日本経済にとってよくないことだ。
 だから、企業には苦しくても雇用だけは維持してほしい。解雇要件よりも給与の下方硬直性を問題にしよう。解雇するぐらいなら最低賃金まで給与を下げて、子供の教育費にだけ税金を投入しよう。そっちの方が日本経済は活力を取りもどせる>。

たしかに、正社員の減給が認められるだけでも、事態は大きく改善する。企業にとっても、減給可能なのであれば解雇しなくて済むケースはかなり多いだろう。

しかし、企業に無理やり雇用を維持させたほうがいいのだ、という考え方には私はやはり同意できない。

いまの日本では、国が企業に雇用を強制することで、いわば「会社をセーフティネットにしている」わけだが、これが企業にとって大きなコストになっており、経営を大きく制約している。

このために、企業から出てくる労働需要が抑えられるので、雇用流動性が低下し、正規・非正規の格差、若年層が割を食う世代間格差、年次によるタイミングの格差(ロスジェネなど)、男女格差といったさまざまな雇用格差を生んでいる。

また「正社員を調整できない」という制約から、アウトソースによる調整志向も強まり、多重下請け構造や過剰な子会社構造など「会社格差」も強まっている。日本企業のビジネスモデル自体も、調整可能な労働力(非正規雇用とアウトソース)で成立しやすいほうにシフトしてしまうなど、産業レベルでも影響が出てくる。

「会社のセーフティネット化」という制度設計によって、これだけの雇用の歪みや硬直性、産業レベルでの非効率が生じており、それが日本経済の足をひっぱり、日本の国際競争力を低下させている。

これらすべての経済損失に比べれば、会社ではなく国がセーフティネットを提供するコストのほうが、はるかに安いのではないだろうか。

また私は、ひとつの会社で「お払い箱」になった人でも、決して無能な人とは限らないという考えを強く持っている。ひとつの会社なんて実に狭い世界で、不条理に満ちている。

現状は雇用流動性が低いために、どんなにいまの仕事がイヤでも、その会社にしがみつくしかない。これは生産性とか経済とかいう以前に、人生そのものを無駄にしている。

どんなに有能な人でも完璧な人間ではないし、逆に言えば、どんなに無能な人でも何か取り柄や強みがある。そして、無能と思われていた人でも、何かのきっかけで才能が開花することも少なくない。

雇用流動性を上げて、マッチングの機会を増やせば、ある会社で無能と見なされた人でも、別の会社で才能が開花するという可能性はかなりあると思う。

「一度失敗したら終わり」ではなく、「何度でも失敗できる」ような制度設計のほうが正しいと私は考える。成功というのは、何度も失敗したすえに出てくるものだから、失敗が許されないのでは、成功も出てこない。

「解雇規制を撤廃せよ」というのは、一見キツい考え方で、「強者の論理」に見えるかもしれないが、むしろこれのほうが「何度でも失敗できる」制度設計なのだ。いちど失敗した人でも、何度でもチャレンジできるし、女性、若年者、高齢者、低学歴者、未経験者など不利な立場であっても、チャンスが回ってきやすいのだ。

解雇規制は一見「弱者保護」に見えるのだが、実際は正規雇用を減少させ、格差を強め、むしろ弱者に厳しい、「失敗を許さない」制度設計になってしまっている。非正規雇用の人が正規の中になかなか入ってこれないだけでなく、いま正規雇用の人に対しても、イヤでも会社にしがみつくという保守性・消極性を強めたり、いまの会社で認められていない人が、別の会社で才能を開花させる可能性を奪っている。

そして、解雇規制がなくなっても、あえて終身雇用を採用する会社があってももちろん構わないし、そういう会社が好きな労働者がいても構わない。

私は解雇が好きなのではなく、自由が好きなのだ。私は終身雇用を憎んでいるのではなく、強制を憎んでいるのだ。もし「終身雇用規制」ができたら、私は終身雇用の自由を擁護するだろう。


関連エントリ:
解雇規制という「間違った正義」
http://mojix.org/2009/01/20/kaikokisei_wrong_justice
「雇用を守れ」という声が、日本の「労働者カースト構造」を強化している
http://mojix.org/2008/12/21/japan_workers_caste
タッド・バッジ 「終身雇用は、企業を、従業員をダメにしていく」
http://mojix.org/2008/11/29/you_can_do_it
解雇規制は 「会社のセーフティネット化」 だ
http://mojix.org/2008/06/05/safety_net_in_company