2010.09.26
内田樹「座標軸をなくした日本社会には、一本筋の通った左翼の存在が必要」
asahi.com - 今、再びマルクスに光 入門・解説書や新訳、相次ぎ刊行(2010年8月23日11時11分)
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201008230099.html

<冷戦終結とともに葬り去られたはずのカール・マルクス(1818~83)が、このところ相次ぐ入門書や解説書、新訳の刊行で、再び注目されている。現実政治への影響力は薄れたが、経済のグローバル化や環境問題、個人の生き方など、21世紀の課題に向き合う思想として新たな光を放ちつつある>。

少し前の記事だが紹介したい(bradexさんの発言で知った)。いま、ちょっとしたマルクス・ブームらしい。

おそらく、サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』が大ヒットしたのをきっかけに、ちょっとした「思想」ブームが起きつつあり、このマルクス再評価もその流れなのだろう。

特にマルクスの場合は、全共闘世代のいわば「青春」だったので、出版業界にいる団塊世代にとっては特別な思いがあり、企画に熱が入るのだと思う。

この記事で、内田樹(たつる)氏の以下のようなコメントが紹介されている。

<座標軸をなくした日本社会には、一本筋の通った左翼の存在が必要だと思う。今の若者は左翼アレルギーが強い>

内田氏は1950年生まれとのことなので、ほぼ団塊の世代(狭義には1947年~1949年生まれ、広義には1946年~1954年生まれ)である。

その内田氏から見ると、いまの日本社会は<座標軸をなくし>ており、よって<一本筋の通った左翼の存在が必要>だと感じるらしい。要するに、日本は右傾化しすぎているので、もっと左傾化すべき、ということだろう。

しかし私の感覚では、これはまったく逆だと思える。

まず「座標軸」という点では、むしろこれまでの日本のほうが「座標軸」がなく、ほとんど誰も政治のことを考えていなかった、と私は思う。団塊世代の少なからぬ人が青春を捧げた学生運動なども、その本質は「若者的な反抗」と「お祭り騒ぎ」の合体であり、エラそうなことを言うほどの中身を持っていなかった、と私は見ている。70年代以降は学生運動も退潮していき、政治のことなどほとんど誰も考えなくなって、むしろ「政治はダサイ」という見方があたりまえになった。

しかしバブル崩壊以降、日本経済の沈下が止まらず、「何かがおかしい」「日本の何が間違っているのか」という問題意識を持つ人が増えてきた。特にインターネットの普及によって、マスコミ以外から情報を受け取ったり、情報を発信することができるようになり、政治に対する意識が高まってきている。この傾向は、私の見たところ、小泉自民党やライブドア事件の頃あたりから顕著になりはじめ、去年の民主党による政権交代や、みんなの党の浮上なども、この政治意識の高まりが背景にあると思う。

つまり、「座標軸」は失われたのではなく、むしろようやくできつつあるように、私は感じる。

そして<一本筋の通った左翼の存在が必要>というほうだが、これも私はちょうど逆に、むしろ日本は左翼的なバイアスがまだまだ強く、これを脱する必要があると感じる。

私が共感する政治的スタンスはリバタリアニズムで、それは「ウヨクでもサヨクでもない」ので、私は右翼にも左翼にも肩入れしていないつもりである。しかしその私から見ても、戦後日本の文化人や論壇、アカデミズムは、全体において「左寄り」だったという傾向を感じる。

戦後日本の文化人や論壇、アカデミズムに対して、私が「左寄り」だと感じるのは、靖国とか改憲などの問題ではなく、ひとことでいうと「経済がない」という点だ。それは「ビジネス」と言ってもいいし、もっとわかりやすく「カネ」と言ってもいい。いわば「ソロバン」がないのだ。

かつての日本は世界史上に残るほどの経済成長を成し遂げたし、世界的な企業もたくさん輩出した。しかしそれは、一部の優れた経営者と、献身的な労働者、それを国策的にバックアップする政府、そのすべてが一丸となって、いわば「国を挙げて」努力した結果だろう。それはガムシャラな努力と、一丸となる協力体制、労働の集約によって成し遂げられたもので、いわば戦時の「挙国一致」の方向を変えたものだった。つまりそれは、国民的な努力の賜物ではあったが、その「アーキテクチャ」は政治体制と同様に、やはり「中央集権的」だったのである。

つまり、経済成長はしたものの、「経済」や「ビジネス」というものが、国民の文化レベルで「腹におちる」ところまでは行かなかった。大半の人にとって、それは政治と同様、「誰かがやってくれる」もの、「自分とは関係ない」ものでありつづけ、よって「言われた通りにやる」だけの、「受け身」のものだったのだ。その理由は、文化人や論壇、アカデミズムなどのオピニオンリーダーたちが、「経済」や「ビジネス」に対する無知、あるいはそれへの嫌悪から、脱することができなかった、というのが大きいように思う。その結果、文化や学問と、経済や実業のあいだに断絶ができてしまった。

私にとって、団塊世代の内田樹氏は、そのような戦後日本の文化人、「経済」や「ビジネス」を知らず、あるいは嫌悪してきた「左寄り」の文化人の、ひとつの典型だと思える。

私自身、「文化」に対しては人並み以上の情熱を持っているつもりだが、だからこそ、「文化」には高度な理解を示す内田氏のようなオピニオンリーダーが、「経済」や「ビジネス」に対しては粗雑な理解しかしておらず、むしろ反動的な意見を述べがちであるということが、なんとも残念なのだ。

内田氏のような文化人が、市場原理や競争を嫌悪しているだけならまだいいのだが、そういう意見が一定の勢力になると、それが政治に反映してくる。実際、鳩山元首相や菅首相はまさに市場原理や競争を嫌悪し、「小泉・竹中路線が日本をダメにした」という考えを持っていて、規制強化や増税が「成長戦略」だと思い込んでいる。それで実際に規制強化や増税がおこなわれれば、日本は成長どころか、ますます沈んでしまうのだ。

民主党が政権を獲ったといっても、国民全員が「小泉・竹中路線が日本をダメにした」と思っているわけではないし、それはみんなの党の浮上を見てもわかる。しかし、「小泉・竹中路線が日本をダメにした」といった意見が、文化人やオピニオンリーダーからも少なからず出てくるところを見ると、日本は左翼的なバイアスがまだまだ強く、これを脱する必要があると感じるのだ。


関連エントリ:
「1に雇用、2に雇用」の菅首相は、キューバの公務員50万人リストラをどう説明するのか
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