世代間格差や「老害」が問題であっても、「老人の権利を制限する」ことで解決しようという発想はおかしい
Togetter - ある一定以上の年齢になった人の権利は制限すべきなのか
http://togetter.com/li/79367
<若い世代のメディアの変化は激しい。全体の変化がゆるやかに見えるのは、老人がなかなか死なないから。これが日本の変化を阻んでいる根本原因。彼らに早く死んでもらうわけにはいかないが、意思決定の権限は剥奪すべき>(2010-12-15 15:39:13)
という池田信夫(ikedanob)氏の発言をきっかけに、
<年齢だけで権限を剥奪されるなんてのは人種差別と同じ。あなたより冴えた老人は山ほどいるはず。RT @Shinskys ある年齢以降になったら(年金受給が目安?)公的な職に就くとか、“公的な権限は剥奪”した方がいいとは思う。そうしないと日本は変わらない>(2010-12-15 16:26:46)
という磯崎哲也(isologue)氏の意見が出るなどして、「老人の権利を制限する」ことについての議論が起きているようだ。これは重要な話なので、私もひとこと書いておきたい。
池田信夫氏の言う「意思決定の権限は剥奪すべき」というのが、老人から選挙権を奪うといった強いニュアンスなのかどうかわからないが、もしその意味だとすれば、これには私は絶対に反対する。
このTogetterでまとめられた範囲でも、世代間格差や「老害」を解決するために、老人の権利を制限したり、老人の権利を剥奪するということに疑問を感じない人がいるようだが、この感覚はちょっと信じられない。
ふだんは比較的冷静に思える磯崎哲也氏が、ここでは強い口調になっているのも、わかる気がする。私はここでの磯崎氏の全発言に賛同するわけではないが、「老人の権利を制限する」ことに強く反対する磯崎氏の立場には、完全に賛同する。
「老人の権利を制限する」ことで何かを解決しようとする発想はきわめて危険であり、それは世代間格差や「老害」を解決するという「正義」のためであっても、許されないものだろう。
このTogetterのまとめの中では、子供の権利が制限されていることをもって、老人の権利を制限することも正当化するような考え方が出ているが、これもおかしい。子供は「一人前」ではないから、権利が制限されていたり、親に保護されるべき存在として社会的に位置づけられているが、老人はそうではない。子供と老人を同じように扱うことはできない。
世代間格差や「老害」が問題なのであれば、それが問題であることを広くアピールしていって、最終的には選挙や国会などの意思決定に反映していくしかない。そのプロセスで、1票の格差があるとか、ネットでの選挙活動や投票ができないといった障害があるならば、その障害を取り除くことはもちろん賛成である。しかし、意思決定に加わる権利自体を老人から剥奪するというのは、まったく賛同できないばかりか、きわめて危険な発想であって、強く反対する。
この話に似ているのが、「定年」の問題だ。私は以前、「定年制に反対する」というエントリで、このように書いた。
<年齢だけを理由に、強制的に辞めさせるというのはおかしい。露骨な年齢差別であり、どう考えても公正(フェア)ではない。そもそも、60歳とか65歳とかを区切りにする根拠もない(年金給付にあわせているのだ、というのは「根拠」になっていない)>。
<「定年退職がなくなったら、会社に年寄りがあふれて、若者はさらに職を得られなくなるのでは?」と考える人もいるかもしれない。現状に即した推論としては基本的に間違っていないが、そうなってしまう根本的な理由は、そもそも解雇規制があるからだ。解雇規制自体がおかしい>。
<70歳でも仕事のできる人はいるし、40歳でも仕事のできない人はいる。年齢や性別などで差別するのではなく、あくまでも、仕事ができるかできないか、会社に貢献できるかできないか、そこだけを判断基準にすべきだ>。
<仕事ができない人、会社に貢献できない人は、年齢や性別によらず、自由に解雇できるようにすべきだ。これこそが公正(フェア)な基準なのであって、逆にこれ以外の基準で解雇するのは公正(フェア)ではない>。
会社に年寄りがあふれているのが問題だとしても、それを定年という年齢差別で解決するのはおかしい。あくまでも「実力」で判断すべきだ。
まだ「実力」があるのに、定年を理由に強制的に辞めさせられてしまう老人は、ほんとうは「実力」があるのに、雇用制度の歪みのために職につけない若者と、同じような立場にある。どちらも、制度設計が誤っているために、「実力」があっても報われない「被害者」なのだ。
世代間格差や「老害」が問題なのはその通りだと私も思うが、これが「老人を排除しろ」という話になってくるとすれば、危険な風潮である。冒頭のTogetterまとめ内の発言で磯崎氏も書いているが、こういう考え方は人種差別と紙一重のものだと私も思う。
老人でも有能な人はいるし、若者でも無能な人もいる。もちろんその反対に、老人で無能な人もいるし、若者で有能な人もいる。何らかの権利を与えるのに、一定の能力を満たす必要があるのであれば、試験などによってその能力を証明してもらえばいいだけだ。老人を排除して済む問題ではないし、排除すべきでもない。
世代間格差や「老害」が問題ならば、それは制度が悪いのであって、老人が悪いのではない。憎むべきなのは誤った制度設計であって、老人ではない。
いまの日本の制度設計はいろいろとおかしいが、必ずしもすべてが利権や強欲によってそうなっているのではなく、単なる無知や人間的な限界、「善意」による誤りも少なくないだろう。問題の原因を特定の人やグループに帰して、その「ワルモノ」を排除するという方法では、問題を解決できない。あくまでも、制度や「構造」のどこがおかしいのかを捉えて、その誤りを正していくしかない。
関連エントリ:
定年制という「高齢者排除の論理」が要請される理由
http://mojix.org/2010/02/04/teinen_logic
定年制に反対する
http://mojix.org/2009/03/28/anti_teinen
http://togetter.com/li/79367
<若い世代のメディアの変化は激しい。全体の変化がゆるやかに見えるのは、老人がなかなか死なないから。これが日本の変化を阻んでいる根本原因。彼らに早く死んでもらうわけにはいかないが、意思決定の権限は剥奪すべき>(2010-12-15 15:39:13)
という池田信夫(ikedanob)氏の発言をきっかけに、
<年齢だけで権限を剥奪されるなんてのは人種差別と同じ。あなたより冴えた老人は山ほどいるはず。RT @Shinskys ある年齢以降になったら(年金受給が目安?)公的な職に就くとか、“公的な権限は剥奪”した方がいいとは思う。そうしないと日本は変わらない>(2010-12-15 16:26:46)
という磯崎哲也(isologue)氏の意見が出るなどして、「老人の権利を制限する」ことについての議論が起きているようだ。これは重要な話なので、私もひとこと書いておきたい。
池田信夫氏の言う「意思決定の権限は剥奪すべき」というのが、老人から選挙権を奪うといった強いニュアンスなのかどうかわからないが、もしその意味だとすれば、これには私は絶対に反対する。
このTogetterでまとめられた範囲でも、世代間格差や「老害」を解決するために、老人の権利を制限したり、老人の権利を剥奪するということに疑問を感じない人がいるようだが、この感覚はちょっと信じられない。
ふだんは比較的冷静に思える磯崎哲也氏が、ここでは強い口調になっているのも、わかる気がする。私はここでの磯崎氏の全発言に賛同するわけではないが、「老人の権利を制限する」ことに強く反対する磯崎氏の立場には、完全に賛同する。
「老人の権利を制限する」ことで何かを解決しようとする発想はきわめて危険であり、それは世代間格差や「老害」を解決するという「正義」のためであっても、許されないものだろう。
このTogetterのまとめの中では、子供の権利が制限されていることをもって、老人の権利を制限することも正当化するような考え方が出ているが、これもおかしい。子供は「一人前」ではないから、権利が制限されていたり、親に保護されるべき存在として社会的に位置づけられているが、老人はそうではない。子供と老人を同じように扱うことはできない。
世代間格差や「老害」が問題なのであれば、それが問題であることを広くアピールしていって、最終的には選挙や国会などの意思決定に反映していくしかない。そのプロセスで、1票の格差があるとか、ネットでの選挙活動や投票ができないといった障害があるならば、その障害を取り除くことはもちろん賛成である。しかし、意思決定に加わる権利自体を老人から剥奪するというのは、まったく賛同できないばかりか、きわめて危険な発想であって、強く反対する。
この話に似ているのが、「定年」の問題だ。私は以前、「定年制に反対する」というエントリで、このように書いた。
<年齢だけを理由に、強制的に辞めさせるというのはおかしい。露骨な年齢差別であり、どう考えても公正(フェア)ではない。そもそも、60歳とか65歳とかを区切りにする根拠もない(年金給付にあわせているのだ、というのは「根拠」になっていない)>。
<「定年退職がなくなったら、会社に年寄りがあふれて、若者はさらに職を得られなくなるのでは?」と考える人もいるかもしれない。現状に即した推論としては基本的に間違っていないが、そうなってしまう根本的な理由は、そもそも解雇規制があるからだ。解雇規制自体がおかしい>。
<70歳でも仕事のできる人はいるし、40歳でも仕事のできない人はいる。年齢や性別などで差別するのではなく、あくまでも、仕事ができるかできないか、会社に貢献できるかできないか、そこだけを判断基準にすべきだ>。
<仕事ができない人、会社に貢献できない人は、年齢や性別によらず、自由に解雇できるようにすべきだ。これこそが公正(フェア)な基準なのであって、逆にこれ以外の基準で解雇するのは公正(フェア)ではない>。
会社に年寄りがあふれているのが問題だとしても、それを定年という年齢差別で解決するのはおかしい。あくまでも「実力」で判断すべきだ。
まだ「実力」があるのに、定年を理由に強制的に辞めさせられてしまう老人は、ほんとうは「実力」があるのに、雇用制度の歪みのために職につけない若者と、同じような立場にある。どちらも、制度設計が誤っているために、「実力」があっても報われない「被害者」なのだ。
世代間格差や「老害」が問題なのはその通りだと私も思うが、これが「老人を排除しろ」という話になってくるとすれば、危険な風潮である。冒頭のTogetterまとめ内の発言で磯崎氏も書いているが、こういう考え方は人種差別と紙一重のものだと私も思う。
老人でも有能な人はいるし、若者でも無能な人もいる。もちろんその反対に、老人で無能な人もいるし、若者で有能な人もいる。何らかの権利を与えるのに、一定の能力を満たす必要があるのであれば、試験などによってその能力を証明してもらえばいいだけだ。老人を排除して済む問題ではないし、排除すべきでもない。
世代間格差や「老害」が問題ならば、それは制度が悪いのであって、老人が悪いのではない。憎むべきなのは誤った制度設計であって、老人ではない。
いまの日本の制度設計はいろいろとおかしいが、必ずしもすべてが利権や強欲によってそうなっているのではなく、単なる無知や人間的な限界、「善意」による誤りも少なくないだろう。問題の原因を特定の人やグループに帰して、その「ワルモノ」を排除するという方法では、問題を解決できない。あくまでも、制度や「構造」のどこがおかしいのかを捉えて、その誤りを正していくしかない。
関連エントリ:
定年制という「高齢者排除の論理」が要請される理由
http://mojix.org/2010/02/04/teinen_logic
定年制に反対する
http://mojix.org/2009/03/28/anti_teinen