2011.04.07
間違いを信じつづける権利
仮に間違っていたとしても、他人に迷惑をかけない限り、「間違いを信じつづける権利」が誰にもあると思う。

仮に正しいとしても、他人に迷惑をかけてまで、「間違いを修正する権利」は誰にもないと思う。

正しいか間違っているかよりも、強制の有無が問題なのだ。

ましてや、正しいか間違っているかが明白でない場合、「正しさを強制する」のは問題外である。

「正しさを強制する」人に限って、正しさを証明できていないことがよくある。

正しいか間違っているか、その判断はしばしばむずかしい。

しかし、強制の有無はつねに明白である。

私は強制に反対する。よって、私が何に反対しているかは明白である。


関連エントリ:
何が「善」であるかは必ずしもはっきりしないが、何が「強制」であるかははっきりしている
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リバタリアニズムのキモは「強制しない」こと
http://mojix.org/2010/01/23/libertarianism_kimo
地獄への道は善意で敷き詰められている(The road to hell is paved with good intentions)
http://mojix.org/2009/03/20/the_road_to_hell