2012.12.18
世論への投票
「選挙に行こう」と呼びかけるのは、間違ってはいない。しかしこれは、親が子供に「勉強しろ」と言っているのと同じようなものだろう。

「勉強しろ」と説教するよりも、「勉強はおもしろい」ことに気づかせる、というアプローチのほうがいい。いったん「勉強はおもしろい」ことがわかってしまえば、みずから「勉強したい」と思うので、わざわざ「勉強しろ」と言う必要もなくなる。

「選挙に行こう」も同じである。選挙に行かない人は、政治に関心がなくて、政治はどうでもいい、と思っている。こういう人に「選挙に行こう」と呼びかけても、おそらくムダだろうし、むなしい。

問題は、「政治はおもしろい」「政治は重要だ」と思っている人が少ない、ということにあると思う。これはなぜかというと、政治について語る人がまだ少ないからだろう。なぜ政治について語る人が少ないかというと、日本では政治について日常的に語ることが、まだまだ「タブー」に近いからだ。この「タブー」こそ、政治への関心を失わせ、ひいては日本の政治を停滞させている主因ではないか。

「選挙に行こう」と呼びかけることは、間違ってはいない。しかし、「選挙に行こう」と呼びかけるよりも、自分のブログやツイッターなどで、ふだんから政治について書くことのほうが、説得力がある。ふだんから政治について書いていれば、それに賛同するにせよ、反発にするにせよ、政治について考えるきっかけを与える。

親が子供にいくら「勉強しろ」と言っても、親自身が勉強していないのでは、説得力がない。親が勉強好きであれば、子供はその姿を見て、自然と勉強好きになるものだろう。

選挙に行くことはもちろん重要だが、その投票結果を実際に左右するものは、投票日までの「情勢」、つまり「世論」である。その「世論」をつくるのは、政治に関する言論である。

この言論に対して、マスコミは依然として大きな影響力をもっているが、ブログやツイッターも決して無力ではない。むしろ、マスコミの影響力は相対的には低下しつつあり、ブログやツイッターの影響力は相対的には上昇しつつある。ふだんからブログやツイッターで政治について書くことは、「世論」の形成にわずかながら影響を与えるのだ。

いまのところ、ブログやツイッターで政治について書いている人は、まだまだ少数派である。逆にいえば、いまブログやツイッターで政治について書いている人は、それなりに影響力を持っていると思う。少なくとも、政治への影響度という尺度で見れば、その人自身が投票箱に入れる一票よりも、その人が政治について書き、小さい範囲ではあっても「世論」をわずかながら動かすことのほうが、政治により大きな影響を与えていると思う。

このような意味で、政治について書くことは、一種の「投票」なのだ。いわば「世論への投票」である。この「投票」は、いつでも、何度でも、好きなときにできる。しかし、この「投票」をする人はまだ少ない。この「投票」率を上げていって、政治について語ることが「タブー」でなくなれば、日本の政治はもっとよくなるだろう。


関連エントリ:
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