ブラック企業や残業文化は、解雇規制という「保護」と引き換えの「コスト」である
先日、自民党がブラック企業の社名公表を検討中だと報道された。これに関して、城繁幸氏がこのように書いている。
J-CAST会社ウォッチ - ブラック企業の「社名公表」ができないワケ(2013/4/18 18:45)
http://www.j-cast.com/kaisha/2013/04/18173448.html
<そもそも残業文化というのは、終身雇用を守るため、労使が一体となって生み出してきた共同作品だ。仕事が増えた分に応じて採用を増やせば、(後で仕事が減った時に)誰かのクビを切らないといけない>。
<それを避けるために「月45時間という法定の残業上限時間を超えて残業できるようにしましょうね」というのが労使間で結ぶ36協定であり、長時間残業を合法としているものの根っこである>。
<それを廃するのなら、当然、業務量に応じて雇用調整するツールも必須となる。要は「残業でも何でもして、今いる社員の雇用を守れ」から「忙しかったら人を雇え、暇になったら解雇していいから」というルールへの転換である>。
まったく同感だ。
ネットでよく叩かれている、いわゆる「ブラック企業」の範囲はとても広い。中には、疑いもなく悪質な企業もあるようだが、単に残業が多いというだけで叩かれていることもよくある。
なぜ残業が増えるかというと、残業しないと処理しきれないくらい、仕事がたくさんあるからだ。ではなぜ、仕事がたくさんあるのに人を増やさないのかというと、城氏が書いているように、仕事が減ったときに、クビを切れないからだ。
だから、正社員は過労死寸前まで働いたり、ワーキングプアになったりしている一方で、いくら求人に応募しても、正社員の仕事につけないという人がたくさんいるわけだ。前者の人は死にそうなほど仕事していて、後者の人は死にそうなほど仕事がないわけだ。
結局のところ、会社が正社員のクビを切れないということが、採用を抑制してしまっている。仕事はたくさんあるのに、人を採用せず、残業で切り抜けようとするのはこのためだ。
つまり、解雇規制によって正社員を「保護」しようとしているために、ブラック企業や残業文化といった「コスト」が生じているのだ。
よって、解雇規制をなくせば、ブラック企業や残業文化といったものは成立しなくなる。そんなことをすれば、社員はバカらしくて、すぐに逃げ出すからだ。
現状の日本は、解雇規制という「保護」のために、雇用が流動しなくなっている。このため、社員は劣悪な環境でも、なかなか転職ができない。この状況が、ブラック企業にとってありがたいわけだ。
雇用が流動しない状況では、ブラック企業が増えるだけでなく、会社に寄生する「ブラック社員」も増える。チンタラやっていても、会社側からはなかなかクビにできないからだ。
雇用というのは本来、会社と社員のあいだで「労働サービス」を売買する市場取引である。市場取引というのは、お互いに取引したいと思う「両想い」の状態でなければ、成立しない。この市場取引に政府が割って入り、会社が社員をクビにできないようにしてしまったために、会社はこの市場に参加することを控えるようになり、雇用という市場が縮小しているのだ。
政府がこういう制度をつくっている動機は、セーフティネットのためである。セーフティネットはたしかに必要だが、市場取引を制約することでセーフティネットのかわりにしようというのは、制度設計として間違っている。これでは、市場が小さくなり、市場として機能しなくなることは明らかだ。セーフティネットが目的であれば、市場取引は制約せずに、北欧の「フレキシキュリティ」のように、市場の外側にセーフティネットをつくるのが正しい。
ブラック企業やブラック社員というのは、日本では労働市場がちゃんと機能しておらず、取引相手が取引をやめられないということを見越して、その状況を利用している存在なのだ。
関連エントリ:
解雇規制という「ゲームデザイン」は間違っている
http://mojix.org/2013/03/26/kaikokisei-game-design
解雇規制が正社員を「身分」にしている
http://mojix.org/2012/12/03/kaikokisei-mibun
なぜ日本ではブラック会社が淘汰されないのか 日本は雇用の流動性が低いから、労働者の価値が低い
http://mojix.org/2009/07/09/why_black_company
J-CAST会社ウォッチ - ブラック企業の「社名公表」ができないワケ(2013/4/18 18:45)
http://www.j-cast.com/kaisha/2013/04/18173448.html
<そもそも残業文化というのは、終身雇用を守るため、労使が一体となって生み出してきた共同作品だ。仕事が増えた分に応じて採用を増やせば、(後で仕事が減った時に)誰かのクビを切らないといけない>。
<それを避けるために「月45時間という法定の残業上限時間を超えて残業できるようにしましょうね」というのが労使間で結ぶ36協定であり、長時間残業を合法としているものの根っこである>。
<それを廃するのなら、当然、業務量に応じて雇用調整するツールも必須となる。要は「残業でも何でもして、今いる社員の雇用を守れ」から「忙しかったら人を雇え、暇になったら解雇していいから」というルールへの転換である>。
まったく同感だ。
ネットでよく叩かれている、いわゆる「ブラック企業」の範囲はとても広い。中には、疑いもなく悪質な企業もあるようだが、単に残業が多いというだけで叩かれていることもよくある。
なぜ残業が増えるかというと、残業しないと処理しきれないくらい、仕事がたくさんあるからだ。ではなぜ、仕事がたくさんあるのに人を増やさないのかというと、城氏が書いているように、仕事が減ったときに、クビを切れないからだ。
だから、正社員は過労死寸前まで働いたり、ワーキングプアになったりしている一方で、いくら求人に応募しても、正社員の仕事につけないという人がたくさんいるわけだ。前者の人は死にそうなほど仕事していて、後者の人は死にそうなほど仕事がないわけだ。
結局のところ、会社が正社員のクビを切れないということが、採用を抑制してしまっている。仕事はたくさんあるのに、人を採用せず、残業で切り抜けようとするのはこのためだ。
つまり、解雇規制によって正社員を「保護」しようとしているために、ブラック企業や残業文化といった「コスト」が生じているのだ。
よって、解雇規制をなくせば、ブラック企業や残業文化といったものは成立しなくなる。そんなことをすれば、社員はバカらしくて、すぐに逃げ出すからだ。
現状の日本は、解雇規制という「保護」のために、雇用が流動しなくなっている。このため、社員は劣悪な環境でも、なかなか転職ができない。この状況が、ブラック企業にとってありがたいわけだ。
雇用が流動しない状況では、ブラック企業が増えるだけでなく、会社に寄生する「ブラック社員」も増える。チンタラやっていても、会社側からはなかなかクビにできないからだ。
雇用というのは本来、会社と社員のあいだで「労働サービス」を売買する市場取引である。市場取引というのは、お互いに取引したいと思う「両想い」の状態でなければ、成立しない。この市場取引に政府が割って入り、会社が社員をクビにできないようにしてしまったために、会社はこの市場に参加することを控えるようになり、雇用という市場が縮小しているのだ。
政府がこういう制度をつくっている動機は、セーフティネットのためである。セーフティネットはたしかに必要だが、市場取引を制約することでセーフティネットのかわりにしようというのは、制度設計として間違っている。これでは、市場が小さくなり、市場として機能しなくなることは明らかだ。セーフティネットが目的であれば、市場取引は制約せずに、北欧の「フレキシキュリティ」のように、市場の外側にセーフティネットをつくるのが正しい。
ブラック企業やブラック社員というのは、日本では労働市場がちゃんと機能しておらず、取引相手が取引をやめられないということを見越して、その状況を利用している存在なのだ。
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