2009.05.12
なぜ日本の成果主義は失敗するのか 「責任がなく、権限もない」個人という日本の縮図
日経ビジネスオンライン - それでも成果主義は止められない 「成果主義に関する読者アンケート」が示す真実
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090507/193988/

<1990年代に導入が始まり、今や上場企業の8割以上が何らかの形で取り入れていると言われる成果主義型の人事制度。
 15年以上の年月を経てここまで普及したにもかかわらず、評判が依然として芳しくない。成果主義は日本企業にはなじまないのか──。
 今回は、日経ビジネス誌2009年5月11日号特集「成果主義の逆襲」の連動企画として、成果主義の是非を改めて考える。成果主義の実態と不評の原因を読者アンケートで探ったところ、意外な実情が浮かび上がった>。

この記事を読んで、「ヴォータンの独白」で書かれていた成果主義の話を思い出した。

「成果主義の10年(負の成果主義の悲惨な結末)」(2006年12月)
http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/10_aafa.html
「負の成果主義の悲惨な結末(再論)」(2008年5月)
http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_dc34.html
負の成果主義の悲惨な結末(補論)(2009年2月)
http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-9e2d.html

どれも面白い内容で、文体も軽快でスイスイ読めるので、ぜひ読んでみてほしい。要点だけまとめると、

・日本が成果主義のお手本とした外資では、「客観的」な成果主義などやっていない
・外資では、「客観的」な情報は参考にするだけで、むしろ現場責任者が「主観的」に成果を評価している
・外資では、現場をわかっている現場責任者が、採用・解雇の人事権も持っている
・日本では、現場責任者が人事権を持っておらず、いっぽう人事担当は現場をわかっていない

といったところになると思う。もちろん、ここでの「外資」や「日本」はすべての会社がそうだというわけではなく、ヴォータンさんから見た一般的な傾向の話だと思うが、じゅうぶんに妥当な内容であり、正しい指摘だと思う。

ヴォータンさんの指摘をふまえての私の意見としては、日本で「成果主義」がうまくいかないのは、結局のところ

「現場責任者に、採用・解雇の人事権も含めた権限がない」

というところに尽きるように思う。本当に「成果主義」をやるのであれば、人事担当ではなく、現場での働きぶりをわかっている現場責任者がやるしかないし、減給や解雇まで含めた人事権まで現場責任者が持っていなければ、本当の「成果主義」にならない。

日本では、現場責任者に権限がないどころか、会社そのものが、社員に対する減給や解雇がなかなかできないようになっている。減給や解雇ができない上に、現場をわかっていない人事が「客観的」な成果主義をやろうとする。何らかの「客観的に見える数字」をひねりだし、それを根拠にしたりする。これではうまくいくはずがない。

ヴォータンさんも書いているが、現場責任者に人事権まで与え、現場責任者が「主観的」な評価、「主観的」な採用・解雇をおこなったとしても、別に問題はない。「負の成果主義の悲惨な結末(再論)」の中で、友人との会話として、こう書かれている。

<「でもさあ、お前が一人で主観的に評価したら危なくないか?」
ヴォ「うん、危ない。ただね、俺自身は部門の責任者として『成果』と言う客観的なもので、まず評価されるし、俺自身に対するアナログな評価は直接の上司やら世界中にいる同僚やらから来るんだよ」
ヴォ「だから、情実評価やらアホな評価をして部下のモチベーションを落としたら、まず自分の『成果』が落ちるからアウト!且つ、自分に対する上やまわりの評価も悪くなるよな」>

つまり、それをどうやるかということがその現場責任者の「仕事」だから、もしデタラメにやっていれば、その現場責任者の評価が下がり、クビになったりするだけの話なのだ。

上司もまた、その現場責任者を「主観的」に評価する。だから、現場責任者には「ちゃんとやろう」というインセンティブがある。現場責任者が、その上司の「主観」をどうしても信頼できないと思ったら、別の会社に行くだろう。

日本では現場責任者に人事権がないだけでなく、いわば「会社自体に解雇の権限がない」。これでは、根本的に「成果主義」と矛盾せざるをえない。「権限」と「責任」はつねにセットになるものだが、クビというかたちで「責任」を取ってもらうことができないから、「権限」も与えられないのだ。

「責任がなく、権限もない」個人というのは、会社の現場責任者だけでなく、日本のあらゆるところで見られるパターンであり、いわば「日本の縮図」だ。日本では、個人にも、会社にも、自治体にも権限がなく、権限はすべて政府に集中している。権限がないかわりに、みんな「保護」されて、「護送船団方式」で団体旅行のように集団移動するので、誰も責任をとらなくていいのだ。

本当の「成果主義」とは、「成果を出したものが報われる」という評価システムのはずだ。これをやるためには、現場責任者はもちろん、末端の社員レベルにまで、「権限」と「責任」を委譲するということが不可欠だろう。「権限」を与え、自由にふるまって成果を出してもらう。しかし、そこには「責任」もともなう。

つまり、個人に「責任がなく、権限もない」という中央集権的・全体主義的な日本方式では、そもそも「成果主義」はできるはずがないのだ。成果や実力ではなく、「身分」で決まっているのがいまの日本だ。だから、前向きに働こうというインセンティブが生まれないし、「希望」もない


関連エントリ:
会社が社員をきちんと評価できていないからこそ、雇用流動性が必要なのだ
http://mojix.org/2008/06/04/fluidity_of_employment_for_you