2009.11.27
民間には力があるのに、政府がジャマしていることが日本の問題
Kudo Publishing's BLOG - 後言再録(第5回)(2008.01.05)
http://blog.kudo-publishing.com/?eid=737071

<なぜ、いつの時代も税金の無駄遣いがなくならないのか?
他人のお金だから。
公衆トイレがいつも汚れているのはなぜか?
しょせん、“他人のトイレ”。
しかも、知人・友人のものでもない。不特定多数の人のトイレだ。自分の家のトイレならすぐきれいにする。
しかし、公衆トイレが汚れていてもきれいにしようとする人は少ない。
結果、汚れに汚れが積み重なって、公衆トイレは果てしなく汚れていく――“公的資金”で清掃しない限り――こうした人間の本質に照らせば、「なるだけ小さな政府で」という方向性は間違っていない>。

<今から思えば、36年前の自民党総裁選は大きな分水嶺だった。
自民党内部の戦いだったので、当時は見えづらかったが、大きな政府論者の田中角栄氏と小さな政府論者の福田赳夫氏による、事実上、社会民主主義と自由民主主義の戦いだった。
建前のイデオロギー上の分類で社会党が存在していたので、自民党の社会民主主義勢力が実権を握ったことが分かりづらかったのだが、以後、30年以上、社会民主主義路線は大筋で続いていくことになる>。

月刊「商業界」の2005年11月号に発表された原稿とのこと。数年前のものだが、とてもいい内容だと思うので紹介したい。

角福戦争」とも呼ばれた田中角栄と福田赳夫の路線対立、自民党内での「社会民主主義と自由民主主義の戦い」は、1972年の総裁選の結果、田中角栄の「社会民主主義」が勝利した。いわば「バラマキ」路線であり、これがその後の日本を覆っていったわけだ。しかし「自由民主党」という自民党の党名、そして社会党の存在が、このことをわかりにくくした。これは重要なポイントだと思う。

この角栄的な「バラマキ」路線こそ、経済とは何なのか、富や価値はどこから出てくるのか、というマトモな感覚を政府から失わせ、利権政治家を増やし、日本をダメにした真犯人だろうと私は考えている。日本は高度成長によって経済力は得たものの、それにふさわしい見識を身につけることなく、成金オヤジのようにパーッと使ってしまったのだ。

富を生み出すイノベーションに投資するのと、成金オヤジのようにパーッと使ってしまうのでは、その結果が異なるのは明らかだ。しかし国の政治となると、一般人なら当然の経済感覚がなくなってしまい、成金オヤジのようにパーッと使ってしまうことが「景気対策」などと呼ばれ、正当化されてしまう。

ほんとうの成金が、稼いだカネをパーッと使ってしまうことは本人の勝手だが、政府の場合、パーッと使ってしまうカネは国民の税金である。著者の工藤氏が冒頭で書いているように、「しょせん他人のカネ」だからだ。

<今回の政治劇では、優れた経済政策家でありながら、政争にことごとく弱かった福田氏の弟子が、何より政争に強い総理大臣たらんとし、事実上、自民党を小泉自民党化するという荒業を繰り出している。
各新聞の論調は、大ざっぱに言って全国紙は小泉自民党寄り、地方紙は相当に批判的である。
しかし、“地方の商店街はシャッター通り化している。景気対策が必要だ”という政治家の言葉を聞くたびに、鈴木敏文セブン‐イレブン会長の「商店街は高度成長で景気が良かった時期でも衰退していた」という言葉を思い出す>。

<そして、1974年大店法施行、79年規制強化となったにもかかわらず、「商店街衰退」といわれ続けてきた事実を鑑みるに、先の政治家の発言はやや説得力を欠く。
過剰な保護行政は自助努力を減退させる。
景気が良くなればあらゆる店の売上げが上がる、というのは幻想である>。

この指摘もいい。これは2005年の小泉自民党時代に書かれたものだが、その趣旨はいまでも通用する。むしろいまは民主党政権になって、小泉路線をひっくり返している真っ最中であり、まさに「景気対策」「規制強化」をやっているところだ。

「景気対策」「規制強化」は、経済成長にとってむしろ有害である。ほんとうの意味での経済力、「自分で稼ぐ力」を喪失させるからだ。

いまの鳩山民主党政権は、ダム中止や事業仕分けなどでは一定の成果を出しているものの、政策の基本的な方向については「大きな政府」路線であり、角栄的なバラマキ路線に近いと感じる。いわば「角福戦争」の再来であり、福田路線に近い小泉自民党が一時は勝利したものの、角栄路線に近い鳩山民主党がそれをひっくり返したわけだ。特に、鳩山政権では小沢幹事長と亀井金融郵政相の存在が「角栄的」だと思う。

政府があれこれ規制したり、恣意的にバラマキすることは、経済成長を「阻害する」。角栄時代にそれでもやっていけたのは、それだけ当時の日本には高度成長による勢いと蓄えがあったからだし、いまのように新興国からの激しい追い上げもなかったからだ。

いまの日本は財政も最悪で、新興国からの激しい追い上げもあり、もうまったく猶予がない。「ミス」は許されないのだ。政府がバラマキして、国民がそれにすがるというのでは、いったいどこから富や価値が生まれてくるのか。そのバカバカしさは、まるでネズミ講である。

経済成長は、民間の努力と工夫から自然に生まれてくる。政府はそれをジャマしないだけでいいのだ。具体的には、「規制緩和」と「減税」の2つである。日本の問題は、民間に力がないことではない。民間には力があるのに、政府がジャマしていることが問題なのだ。


関連:
ウィキペディア - 田中角栄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%A7%92%E6%A0%84
ウィキペディア - 福田赳夫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E8%B5%B3%E5%A4%AB

関連エントリ:
市場とは「自分の欲しいものにしかカネを出さない人の集まり」である
http://mojix.org/2009/11/25/what_is_market
成長戦略とは「規制緩和」と「減税」のことである
http://mojix.org/2009/11/22/seichou_senryaku
日本の問題は「市場の失敗」でなく「政府の失敗」
http://mojix.org/2009/08/29/nihon_no_mondai