2010.01.26
「けしからん」という精神論
「最近の若者はけしからん」をはじめ、「けしからん」というフレーズがしばしば聞かれる。

「けしからん」は、「最近の若者」といったグループをひとまとめにして、その人たちの考え方や行動に見られる何らかの「傾向」を嘆くものだ。これは大抵の場合「精神論」である。

もし「最近の若者」といった一定規模の集団・グループが、ほんとうにある種の「傾向」を見せているのだとすれば、それは個人レベルのだらしなさに帰着できる問題ではなく、社会の「構造」の問題である。

どんな時代でも、どんな社会でも、どんな年齢層でも、できる人からできない人までの「分布」がある。その「分布」全体が特定の方向にシフトしているのだとすれば、それは個人レベルの傾向が集積したのではなく、その時代・その社会・その年齢層に対してなんらかの「力」を及ぼす、社会的な「構造」があるのだ。

この社会的な「構造」は、それ自体が「制度」であったり、「制度」が存在することによって生まれてくる社会的な傾向であったりするが、結局のところ「制度」に発していることが多い。

「けしからん」という精神論を唱える人は、そのグループに対してそのような行動を取らせている社会的な「構造」、すなわち「制度」が見えていない。原因が見えておらず、結果を嘆いているのだ。

「制度」を作れるのは政府だけであり、国民はそれに従うしかない。特定のグループが「けしからん」傾向を見せているのだとすれば、それはそのグループの人たちが悪いのではなくて、政府による「制度」の設計、「ゲームデザイン」が間違っているのだ。

「けしからん」という精神論がダメなのは、そのグループを不当に責めているというだけでなく、問題の原因を属人的な部分に帰着させてしまうことで、問題の根本要因が「制度」にあることをわかりにくくしているところだ。真に責任があるのは、「制度」を作っている「政府」以外にありえない。


関連エントリ:
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