2010.01.09
民間人は「ゲームプレイヤー」であり、政府は「ゲームデザイナー」である
Business Media 誠 - 吉田典史の時事日想:「文系・大卒・30歳以上」がクビに――ベストセラーの著者に聞く2010年労働事情
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1001/08/news002.html

「文系・大卒・30歳以上」がクビになる――大失業時代を生き抜く発想法』(新潮新書)の著者、深田和範氏へのインタビュー記事。

この記事の筆者である吉田典史氏は、今回のテーマでもあるリストラ・解雇についてしばしば書いている方のようだが、私がこれまで目にした吉田典史氏の記事は、リストラする企業側がとにかく悪いという観点のものが多かったように思う(例:「「会社を辞めろ」と言われても……泣き寝入りせずに抵抗する方法」)。しかしこの記事については、政府や規制にも問題ありという「制度論」の観点で書かれており、おおむね賛同できる内容だ。

深田氏のコメントを受けて、吉田氏は次のように書いている(2ページ目)。

<深田氏は、2008年秋以降の世界同時不況は、日本企業の2つの隠れみのを吹き飛ばしてしまったと見ている。隠れ蓑の1つは、欧米の景気がよかったこと。2つめは、非正社員を雇うことで人件費を抑え込んだこと。これらにより、国際競争力を持ち合わせていなくとも、経営はなんとか成り立っていたというのだ>。

<このあたりは、私も同感である。これは私のとらえ方だが、日本企業の多くはすでにビジネスモデルが破たんしている。つまり、安定的に売り上げを稼ぎ出し、それをすべての社員で分配していくことができない。その兆しは山一証券や北海道拓殖銀行が経営破たんした、1990年代後半に見えていた。あのときが、実は日本企業の大きな分岐点だった。経営者や経済界は、戦後のビジネスモデルを大きく変えるようにかじを切るべきだったのだ。政府与党もそれを強力に後押ししたり、政策を打ち出し、誘導することが必要だった>。

<しかし、それらをすることなく、安易なリストラなどで問題を先送りした。それがいま、大きなツケとなって現れている。問題は、このようなビジネスモデルだけではない。正社員の極端とも言える法的な保護など、労働法も時代の変化についていっていないのだ>。

<例えば、解雇要件を緩めるならば、会社員が会社と争うことができる態勢を整えることも必要である。会社がリストラする際の武器となっている配置転換のあり方にもメスを入れて(関連記事)、労使双方にとって公平なものにしないといけない。さらに、解雇された社員には子どもがいるかもしれない。そのことを踏まえ、小中学校から大学までの学費などについて何らかの支援も矢継ぎ早にするべきだった。これらが整ってこそ、正社員の解雇要件を緩めることができる>。

<ところが、相変わらず、ビジネスモデルや労働法などは、1990年代後半までのものなのだ。本来、政府や企業はこのようなところにこそ、踏み込んでいくべきだった。そうすれば、非正社員と正社員の格差はもう少し健全な姿になっていた。企業の活力もある程度は、維持できたに違いない。それが、国や地方自治体の財政にもよい影響を与えたはずだ。少なくとも、こんなに早く沈滞期に入らなかったのではないか、と私は思う>。

<この無為無策のあおりをもろに受けているのが、いまの20~30代である。そして、就職活動を控える大学生であり、その親たちだ>。

<しかし、なぜか多くの政治家や有識者はこの問題を指摘しない。これでは「政権が変わっても変化なし」と批判を受けても仕方あるまい。深田氏は、このようなことも話していた。30代の人がこれを読むと、思い当たるフシがあるのではないだろうか>。

「ビジネスモデル」という言葉の使い方などにやや違和感があるが、国がセーフティネットを用意して、そのうえで正社員の解雇要件を緩めるべし、という論旨は賛同できる。

日本企業やその経営者にも、時代の動向についていけていない面はもちろんあると思うが、雇用の問題については、民間企業が責められる筋合いはないと私は考えている。これは労働者も同じだ。就職氷河期やロスジェネの問題、非正規社員がなかなか正社員になれないといった問題を、「本人がだらしないからだ」といった精神論に帰着させてしまってはならない。

企業と労働者はしばしば、利害が対立するものとして捉えられるが、企業も労働者も「民間人」である点では同じだ。民間人は誰にも強制できないし、制度を作れない。よって民間人どうしの取引は、あくまでも互いの自由意思に基づくもので、そこには強制が入り込まない。よって、雇用問題のような「日本の問題」に関する責任は、民間人には生じようがないと私は考える。悪いのは、強制力を持ち、制度を作れる政府だけだ。

民間人は「ゲームプレイヤー」であり、政府は「ゲームデザイナー」である。ゲームのデザイン(制度設計)をどのようにすれば、ゲームプレイヤーはどのようにふるまうか、ということは事前に大体わかっているわけで、それが経済学の大きなテーマのひとつである。よってゲームデザイナーたる政府は、それに完全に通じた上で、ゲームをデザインしなければならないのだ。

ちなみに、<なぜか多くの政治家や有識者はこの問題を指摘しない>とあるが、このテーマが政治やマスコミで一種の「タブー」になってきた理由についても、私は何度か書いたことがある。

シリコンバレーに「ひらがな論者」あらわる
http://mojix.org/2009/05/11/sv_hiragana

<マスコミや政治家にとっては、一般人は「お客さん」である。マスコミも政治家も「人気商売」であり、いかに多くのお客さんに支持されるかが自身の死活問題だから、「日本はもうダメだから、日本から逃げろ」などと、お客さんを批判するようなことは絶対に言わない。解雇規制の話がマスコミや政治でタブーになっているのもこれで、「働きが悪い社員はクビにすべきだ」などと言えば、すごい反感を買うのは間違いないから、絶対に言わないのだ>。

日本をダメにしたのは誰か
http://mojix.org/2009/05/15/nihon_dame

<マスコミも政治も、「お客さん」である国民の批判をしないので、マスコミしかなかった時代は、国民が「聞きたくないこと」は、国民の耳に入らなかった。そして、マスコミにとっても政治にとっても、国民は批判できない「お客さん」であると同時に、「バカでいてくれたほうがありがたい」存在でもあった。国民が「聞きたくないこと」は言わないと同時に、国民に「聞かせたくないこと」も言わない。これで、国民はどんどん「バカなお客さん」、要するに「カモ」になり下がったのだ>。

つまり、マスコミや政治を成立させている「ビジネスモデル」が、国民からの「人気」に依存しているので、多くの国民にとって「耳の痛い」話がずっと回避されてきたのだ。マスコミ人も政治家も、少なからぬ人がこの問題に気づいていたはずだが、そんなことを言えば自分の立場を危うくしかねないので、その「本音」が言えなかったわけだ。

しかしこの数年で問題の深刻さが増し、「構造」の核心部分にいよいよ切り込まざるをえなくなってきた。そしていまはネットがあるので、言論の状況にも風穴があいてきた。マスコミや政治からは出てこない「タブー」でも、ネットではさかんに論じられるようになってきている。


関連エントリ:
「法学的思考」と「経済学的思考」
http://mojix.org/2009/10/06/hougaku_keizaigaku
解雇規制は労働者の利益になっているのか?
http://mojix.org/2009/09/24/kaikokisei_rieki
中川秀直「非正規雇用の方を切り捨てて守ろうとしているのは、経営者の利益だけではなく、実は正規雇用の方の雇用であり賃金です」
http://mojix.org/2009/07/20/nakagawa_koyou
「精神論」より「制度論」を
http://mojix.org/2009/07/19/seishinron_seidoron