2010.05.26
ブラック企業を支えているのはブラック社員であり、それを生み出しているのはブラック政府である
ブラック企業が可能なのは、その企業に労働力を安く「仕入れ」ているブラック社員がいるからだ。

「残業しろ」という圧力は、「労働力を安く卸してくれ」という「仕入れ交渉」にほかならない。この交渉が飲めないなら、社員はノーと言うべきだろう。ここでノーと言ったり、転職したりせずに、その交渉を飲んでいるのであれば、2者は合意しており、契約は成立している。脅迫されているわけでもなく、自ら合意しているのだから、その内容に対して文句を言う筋合いはない。

とはいえ、よろこんで残業をする人などいるはずもなく、ほんとうはイヤなのだが、「ノーと言えない」のが実情だろう。なぜここで社員がノーと言えないかといえば、クビが怖いからだ。なぜクビが怖いかというと、転職がむずかしいからだ。なぜ転職がむずかしいかというと、日本には解雇規制があるために、企業が採用を渋っているからだ。

こうした構造、悪循環の「システム」を生み出しているのは、結局のところ、政府の解雇規制なのである。解雇規制をなくせば、労働市場は流動的になる。労働市場が流動的になれば、社員の側はつねに努力して競争力を保たなければすぐに解雇されるし、会社の側もつねに努力して競争力を保たなければ、すぐに人がいなくなる。

いまの日本の状況は、まさにその裏返しである。努力せず競争力のない人材でも解雇されずに、会社に居座り続けることができる。そして、努力せず競争力のない会社でも、転職が難しいために、なかなか人が辞めていかない。ブラック企業が可能なのは、待遇や環境がひどくても人が辞めていかずに、労働力を調達できているということ、これに尽きる。

つまり、いまの日本の雇用に欠けているものは、社員側においても会社側においても、まさに「市場原理」なのである。そして、その問題を生み出している責任は、労働者や会社という民間人にはなく、誤った制度設計によって労働市場を硬直させている政府にある。

このように書くと、「悪いのはあくまでもブラック企業なのだから、政府が厳しく取り締まればいいのだ」という意見が必ず一定数出てくる。そのように主張する人は、ではブラック企業の基準とは何で、適正な労働時間とは1日何時間なのか、確信を持って答えられるのだろうか。

かつては土曜日も休日でなかったので、みな働いていた。土日が休みだとか、1日8時間が普通といったことは、現在はそうだというだけで、何の根拠も必然性もない。人によって仕事の中身もさまざま、体力もさまざま、考え方もさまざま、都合もさまざまなのだから、何時間働くかなんて、本人が好きに決めればいい。

もちろん、現実には会社に勤めている人が大半なので、完全に本人の勝手にはできないだろう。しかしこれも、会社と協議して、両者が合意すればいいだけの話だ。なぜそこに政府が介入して、「1日8時間以上働くな」といった規範を強制できるのか。

仕事が遅くて、他の人の2倍働かないと、他の人と同じ成果が出せない人がいるとする。この人に対して、「1日8時間以上働くな」といった規制をおこなうことは、「善」なのだろうか。この人は16時間働いてもいいから、他の人と同じ成果を出して、同じ給料をもらいたいかもしれない。あるいは、他の人と同じ8時間働いて、成果も半分、給料も半分でいいと思っているかもしれない。そんなことは、本人が決めればいいことだ。逆に、本人以外の誰も、それに対してああしろこうしろと命令する権利はないはずだ。

政府の規制によって、会社が労働者を1日8時間以上働かせることができない場合、この人がいくら16時間働いてもいいと思っていても、会社はこの人を16時間働かせることができない。この人と会社の両者が合意していても、許されないのだ。「私は他の人の2倍働いて、給料が同じでも構わないので、採用してほしい」とこの人が希望しても、そして会社側も採用したいと思っていても、採用できないのだ。

結局、この人は仕事が遅いために採用されず、職を得られない。このとき「悪い」のは、次の3者のうち誰なのか。

(1)仕事が遅い労働者
(2)この人を採用しない会社
(3)規制している政府

どう考えても(3)である。しかし日本では、(1)の自己責任論、(2)の会社ワルモノ論が、それなりに支持されてしまうのだ。

(1)や(2)のように考える人は、政府の規制が正しいということを「前提」にしてしまっている。政府の正しさが絶対的であれば、労働者と会社のどちらかをワルモノにするしかない。しかし、労働者も会社も民間人であり、他者に強制できない。他者に強制できず、つねに自由意志に基づく取引を互いにおこなっている民間人が、どうやって大規模かつ恒常的な社会問題を引き起こすことが可能なのか。

大規模かつ恒常的な社会問題を引き起こすのは、政府による間違った制度設計である。間違った設計が、悪い構造を導くのだ。政府だけが、この制度設計を民間人に強制する力を持っているのだから、責任は政府にしかありえない。ワルモノは(3)の政府なのである。

「悪いのはあくまでもブラック企業なのだから、政府が厳しく取り締まればいい」と考えている人は、実は政府と発想が同じなのだ。政府の発想とは、「労働者はこうあるべき、会社はこうあるべき」という規範があって、その規範に合致しないもの、「望ましくないもの」を、規制によって力ずくで排除するというものだ。解雇規制も、最低賃金規制も、派遣規制も、みな同じである。解雇は望ましくない、安い賃金は望ましくない、派遣は望ましくない、だから規制するのだ。

しかしこうした規制こそが、労働市場を歪め、硬直化させ、より深刻な事態を引き起こしているのである。「望ましくないもの」を無理やり排除しようとした結果、市場原理が機能しなくなっている。既得権益を持っている人と持っていない人のあいだに不条理な「身分」ができてしまって、それが競争によっても超えられない「カベ」になっているのだ。

1人の人間だけを考えても、「望ましいもの」を引き出すために、単に「望ましくないもの」を禁止するという方法では、うまくいかないことは明らかだろう。禁止や命令では、人間の心は動かせないのだ。市場とは、その人間が多数集まったものである。「望ましくないもの」は単に禁止すればいいという発想は、人間は命令によって動かせるという発想と同じくらい安直であり、現実的でない。それは人間というものの性質を理解していないのだ。


関連エントリ:
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