2010.09.23
小林慶一郎「デフレ脱却をめぐる思想の対立」(2004年)
RIETI : 小林慶一郎 - デフレ脱却をめぐる思想の対立(2004年)
http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/kobayashi/16.html

<バブル崩壊後の長期不況の中で、経済政策について様々な論争があった。結局、議論の対立は「景気浮揚が先か、改革が先か」という点に集約されると言えるだろう。最近の例でいえば「日銀の金融緩和をさらに大胆に進めることによって、デフレを脱却するのが先だ」という議論と「不良債権処理による金融システムの改革と企業の再編整理を進めなければデフレは終わらない」というデフレ論争がその典型だ>。

<この論争は、しばしば感情的な誹謗中傷のようなレベルにまで発展したが、なぜそうなるのか、ということが筆者にはずっと不思議だった。単に議論が白熱して感情的になった、というのとは違う印象なのである。この対立は、実は、何か根源的な価値観あるいは哲学の対立に根差しているのではないか、と筆者は考えるようになった>。

日本経済の罠』などで知られる小林慶一郎氏による2004年の論考。まだバブル崩壊後を抜け出せなかった2004年にも、まるでいまと同じようなデフレ論争があり、構造改革派と金融緩和派が対立していた。その思想的な対立を、ハイエクが提示した「自由主義」対「設計主義」という枠組みで考えている。

小林氏は、自生的な市場ルールを理性で設計することはできないという「自由主義」の立場から、日銀が金融緩和を進めればデフレは解決するという金融緩和派の主張は、ハイエクのいう「設計主義」の罠に陥っていると指摘している。

<専門的な金融政策の研究者以外の論者が、「日銀が大胆な金融緩和を行えばデフレから脱却できるはずだ」という議論を熱心に唱道したり、こうした議論に非専門家の論壇で幅広い支持が集まったりする状況は、なぜ生じたのだろうか。多くの非専門家をとらえているのは、設計主義的な情熱なのではないか、ということが疑われるのである>。


図 90年代以降の貨幣流通速度の推移

<よく言われるデフレ脱却論は、(生産Yと流通速度Vが一定のときに)ベースマネーMを増やせば物価Pが上昇するはずだから、日銀が金融緩和でMを増やせば、国民はインフレ期待を持つようになるはずだ、というものだ。インフレ期待が生まれれば(名目短期金利ゼロという特殊な条件下では)その期待が現実のインフレになる>。

<ところが、もし「デフレが続く」という悲観的な期待を国民が持つ結果として流通速度Vが低下したらどうなるだろうか。その場合、日銀がベースマネーMを増やしても、物価Pは上昇しない可能性がでてくるから、国民のデフレ期待をうち消せない。つまり、市場秩序で決まる流通速度Vが変動するなら、日銀の政策は、必ずしも国民の「インフレ期待」を制御することはできない>。

<設計主義は「企業などの組織は、理性的設計によってコントロールできるし、そうするべきだ。だから、市場秩序を含む経済全体の秩序も、設計された計画によってコントロールできるはずだ」と考える。デフレ脱却論も「ベースマネーMは日銀が理性的設計によって完全にコントロールできる。だから、物価水準P も、日銀の設計どおりにコントロールできるはずだ」と考える。ところが、物価Pは、市場秩序によって決まる流通速度Vの影響を受ける。上のようなデフレ脱却論の主張は、V(つまり市場秩序)がどのように動くかを解明した上で議論しない限り、論理の飛躍といわれても仕方がないものであろう>。

貨幣の流通速度Vは「市場秩序」なので、この制度設計に対して責任を負っているのは政府である。日本の企業や個人がカネを使わずに貯め込むのは、この制度設計の点で政府への信頼が低下しつづけており、先行きの見通しが暗いからだ。

金融緩和派は、この「構造」要因を無視あるいは過小評価して、日銀がとにかくベースマネーを増やせばデフレが解決すると考える。だから、それをやらない日銀がすべて悪い、という見方になるわけだ。

私は「自由主義」を支持していて、「設計主義」を支持していないので、この小林氏の整理の仕方はとても納得がいく。そのイデオロギーを抜きにして、企業の経営者として、またひとりの生活者としての実感という点でも、カネを使うか使わないかという判断をもっとも左右するのは、制度や市場秩序に対する信頼や、その先行きの見通しである。

いっぽう、金融緩和派がよく主張する「デフレ(値下がり)が続くと予想するので買い控えが起きる」という説明は、まったく実感にあてはまらない。値下がりを期待して買い控えるわけではなくて、政治がダメで将来の見通しも暗いからカネを貯め込むのだ。

経営者が日本で人を雇わないのも、待っていればもっと安く雇えるからではなく、日本は規制が強すぎて、人を雇うコストとリスクが高すぎるからだ。イデオロギー論争などするまでもなく、経営者に訊いてみればいい。実際に人を雇ったり設備投資をするかどうかの判断をするのは経営者なのに、経営者がどう考えるかを知らずにいくら高尚な議論を繰りひろげても、まさに机上の空論である。


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