なぜリフレ政策より構造改革が重要なのか 日本に足りないのはカネではなく成長力や投資機会である
みんなの党を支持するような経済成長派の人でも、構造改革よりリフレ政策を優先すべきと考えている人をネットでときどき見かける。そもそもみんなの党自身、おそらくブレーンである高橋洋一氏からの影響などで、リフレ路線が強いようだ(少なくとも代表の渡辺喜美氏はそのようである)。このブログでしばしば書いてきたように、私はみんなの党の政策的な方向を大部分支持しているのだが、このリフレ路線だけは支持できない。
私は金融政策にまったく意味がないとは思わないが、少なくともいまの日本の不況、閉塞状況を打開する突破口が、金融政策であるとはどうしても思えない。
「成長力や投資機会があるのに、カネがない」のであれば金融政策にも意味があるが、むしろ「成長力や投資機会がないので、カネが余っている」というのが日本の状況だろう。足りないのはカネではなく、成長力や投資機会のほうなのだ。よってカネには行き場がないために、金融機関は国債を買うことになる。この構造によって、日本政府は金融機関を経由して、国民からいくらでも借金できているわけだ。
「成長力や投資機会がない」原因は、ことごとく民間の成長力を潰すような悪政がおこなわれているからだ。「まともに働く」よりも「国にすがる」ほうが有利なのであれば、誰も働かなくなるのは当然だろう。誰も働かなくなるような国が、生き残れるわけがない。「国にすがる」ほうが有利になるような制度設計、「ゲームデザイン」が間違っているのだ。
この間違った制度設計のために、成長力や投資機会が潰されており、またそれゆえにこそ、カネが国債に向かうのだ。この壮大で不条理な悪循環こそ、「日本の構造」である。
経済は結局のところ、市場参加者の心理、「見通し」で動く。新興国が力をつけ、世界的な競争が激化しているこの時代に、日本は強すぎる規制と高すぎる税金を維持しつづけている。これでは成長力や投資機会など生じようがない。その「構造」に手を入れず、「カネをジャンジャン刷ります」と宣言したところで、市場参加者の「見通し」が改善するのだろうか。むしろ、「カネがないからカネを刷るなんて、そんな錬金術があるわけがない」と、政府に対する不安がますます大きくなるのではないか。「見通し」の改善とは、「信頼」が増して、将来への「期待」が増すことだ。税収の倍以上も浪費している借金国が、「カネをジャンジャン刷ります」と宣言したら、むしろ「不安」が増すだけではないだろうか。
「不安」が増したとしても、「インフレ期待」が生じさえすればいいのだ、というのがリフレ派の議論なのかもしれない。仮にインフレ期待が生じたとしても、日本の硬直的な「構造」がそのままであれば、「流動性」が日本を「うるおす」ことはなく、もっと成長力の大きい海外へ流出するだけだろう。ドーキンスの「利己的な遺伝子」と同じく、カネは「自己増殖」するものであり、「自分がいちばん増えそうなところに向かう」。日本に成長力や投資機会がなければ、カネは「日本を出て行く」のだ。
ある程度カネが国内に留まったとしても、せいぜい不動産や商品市場に向かうだけだろう。「インフレヘッジ」が理解できる金融リテラシーとそれなりの財力を持つ層であれば、インフレにもすばやく対応できるだろうが、せいぜい銀行預金しか持っていない庶民は、物価の値上がりに対して給料もほとんど上がらず、よけい苦しくなりそうだ。
経済では、とにかく「タダメシ(フリーランチ)はない」というのが不滅の原理である。誰もが「もっと働こう」「もっと価値を生み出そう」と思うような制度設計、「ゲームデザイン」をおこなうという真っ当な道以外に、手っ取り早い解決策はない。「ダメな設計」という現実を直視し、それを変えるしかないのだ。それが「構造改革」である。
関連エントリ:
mixiアプリ「サンシャイン牧場」の山火事ネタはなぜユーザを怒らせたのか
http://mojix.org/2010/04/03/sunshine_yamakaji
民間人は「ゲームプレイヤー」であり、政府は「ゲームデザイナー」である
http://mojix.org/2010/01/09/game_player_designer
竹中平蔵vs菅直人 「現実が変わった」ことを受け入れられない日本
http://mojix.org/2009/12/17/takenaka_kan
斎藤精一郎「何故、超緩和策でデフレ脱却ができないのか」
http://mojix.org/2009/12/03/saito_kanwa
私は金融政策にまったく意味がないとは思わないが、少なくともいまの日本の不況、閉塞状況を打開する突破口が、金融政策であるとはどうしても思えない。
「成長力や投資機会があるのに、カネがない」のであれば金融政策にも意味があるが、むしろ「成長力や投資機会がないので、カネが余っている」というのが日本の状況だろう。足りないのはカネではなく、成長力や投資機会のほうなのだ。よってカネには行き場がないために、金融機関は国債を買うことになる。この構造によって、日本政府は金融機関を経由して、国民からいくらでも借金できているわけだ。
「成長力や投資機会がない」原因は、ことごとく民間の成長力を潰すような悪政がおこなわれているからだ。「まともに働く」よりも「国にすがる」ほうが有利なのであれば、誰も働かなくなるのは当然だろう。誰も働かなくなるような国が、生き残れるわけがない。「国にすがる」ほうが有利になるような制度設計、「ゲームデザイン」が間違っているのだ。
この間違った制度設計のために、成長力や投資機会が潰されており、またそれゆえにこそ、カネが国債に向かうのだ。この壮大で不条理な悪循環こそ、「日本の構造」である。
経済は結局のところ、市場参加者の心理、「見通し」で動く。新興国が力をつけ、世界的な競争が激化しているこの時代に、日本は強すぎる規制と高すぎる税金を維持しつづけている。これでは成長力や投資機会など生じようがない。その「構造」に手を入れず、「カネをジャンジャン刷ります」と宣言したところで、市場参加者の「見通し」が改善するのだろうか。むしろ、「カネがないからカネを刷るなんて、そんな錬金術があるわけがない」と、政府に対する不安がますます大きくなるのではないか。「見通し」の改善とは、「信頼」が増して、将来への「期待」が増すことだ。税収の倍以上も浪費している借金国が、「カネをジャンジャン刷ります」と宣言したら、むしろ「不安」が増すだけではないだろうか。
「不安」が増したとしても、「インフレ期待」が生じさえすればいいのだ、というのがリフレ派の議論なのかもしれない。仮にインフレ期待が生じたとしても、日本の硬直的な「構造」がそのままであれば、「流動性」が日本を「うるおす」ことはなく、もっと成長力の大きい海外へ流出するだけだろう。ドーキンスの「利己的な遺伝子」と同じく、カネは「自己増殖」するものであり、「自分がいちばん増えそうなところに向かう」。日本に成長力や投資機会がなければ、カネは「日本を出て行く」のだ。
ある程度カネが国内に留まったとしても、せいぜい不動産や商品市場に向かうだけだろう。「インフレヘッジ」が理解できる金融リテラシーとそれなりの財力を持つ層であれば、インフレにもすばやく対応できるだろうが、せいぜい銀行預金しか持っていない庶民は、物価の値上がりに対して給料もほとんど上がらず、よけい苦しくなりそうだ。
経済では、とにかく「タダメシ(フリーランチ)はない」というのが不滅の原理である。誰もが「もっと働こう」「もっと価値を生み出そう」と思うような制度設計、「ゲームデザイン」をおこなうという真っ当な道以外に、手っ取り早い解決策はない。「ダメな設計」という現実を直視し、それを変えるしかないのだ。それが「構造改革」である。
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