中野雅至「決断ができないならば、日本を分割せよ」
日経ビジネスオンライン : 脱・幼稚者で行こう! - 決断ができないならば、日本を分割せよ
『政治主導はなぜ失敗するのか?』の中野雅至・兵庫県立大学大学准教授に聞く(2011年1月17日)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110112/217895/
これはすばらしいインタビュー。
中野雅至氏は元厚生労働省の官僚で、比較的官僚を擁護するスタンスで知られる論者だ。官僚叩きが一般化した日本では、このスタンスは逆に貴重かもしれない。
例えば、記事中にこういう部分がある。
<すべて官僚が悪いのか、といわれるならば、決してそうではないと思います。官僚は淡々と利害調整をしている。もし、それが間違えているならば、修正するには「こう資源配分をしろ」と指令する人間が必要だということです。
トップで「こうやれ」といってくれれば、そのメニューにしたがって官僚は行動する。けれども、そのメニューを誰も示さない。あるいは、きちんと責任をもって示してくれない。政治家は「やる」とはいいながら、政治生命を賭してまで追求しようとはしない。こういうことだと思いますけどね>。
最終的な決定権や人事権があるのは政治家(国会や内閣)なので、これはその通りだろう。仮に「リーク、悪口、サボタージュ」のような抵抗を官僚から受けたとしても、政治家は最後までそれと戦いぬくしかない。この政治家が正しいのであれば、国民はその政治家を支持し、応援するだろう。もしそうしないのであれば、最終的には国民の責任である。
とはいえ、やはりここでも、公務員を「クビにできない」という縛りはある。日本の問題はほとんどすべて、どこから辿っても、この「クビにできない」という制約に行き着くように思う。
この雇用の問題と並んで、日本にとって最大のボトルネックになっていると私が思うのは、「国が大きすぎる」という問題だ。日本はほとんどあらゆるものが中央集権方式になっており、各地方が自己決定できる範囲が小さすぎる。この中野雅至氏へのインタビューでは、後半部分でズバリその話が出てくる。
<つまるところ、いまの日本の問題は発信力でも何でもなくて、「コンセンサスが築けない」ということですから。消費税はみんなノーという、社会保障費を減らすかというと嫌だという。あそこが悪い、ここが悪いといって、ごまかしつづけて20年たっている。日本人、日本社会は、マーケット重視の小さな政府路線にも、政府の力を使う大きな政府路線にも同意しない。どちらの政策にもコンセンサスを築けないまま、その場しのぎの政策を繰り返しているということです>。
<そのあいだに、世界にはBRICsが出てきて、冷戦が崩壊してどんどん変わっているのに、日本のなかでは「ああでもない、こうでもない」といい合っていて、コンセンサスがひとつも築けない。それならば、もう思い切って分割した方がマシですよ>。
<具体的に言うならば、中央政府の役割を外交とか安保とか、通貨などにぐっと絞って、あとは道州制にして分割する。そうした方がコンセンサスが築ける。お互いが顔の見える範囲にいれば、税金を払って支え合うという政策でも、それぞれが自助努力でがんばる政策でも、コンセンサスを築きやすいと思います。そして、地方政府の役割は社会保障を含めて、大きな政府でも小さな政府でも、道州ごとに決めればいい。大きな政府を取る関西州があってもいいし、小さな政府を取る東北州があってもいいわけです>。
これには100%賛同する。この話は、「北海道独立論」や「日本も連邦制にすればいいのでは」、最近でも「田村耕太郎「この際、日本を30のシンガポールに分けたらどうか?」」など、このブログではたびたび書いている。
日本の政治がいつも停滞するのは、これだけ国が大きいのに、なんでも国のレベルで合意しようとするからだ。これは中央集権制の「構造的必然」である。どんなテーマであっても、必ず改革に抵抗する勢力はあらわれる。自分たちの利権や既得権益がかかっているから、抵抗勢力はどんな方法を使ってでも、改革を潰そうとする。こうして、いつまで経っても、ほとんど何も改革されず、政治家と役人の給料が空費されていく。
中央集権制というのは、ザックリいえば「新興国向けの国のかたち」である。国民はツベコベいわずに、「お上」の言うことに黙って従う。要するに「国家資本主義」だ。国民は自由がないかわりに、一定の生活を国が保障してくれる。国民はただ、「お上」に言われた通りにやっていればいいのだ。
しかし先進国になると、国民の知識や政治意識も高まり、自由を求めるようになる。こうなると、中央集権制ではやっていられない。連邦制や道州制によって国を分割し、それぞれの「小国」が大半のことを自己決定できるようにする。これで、「民主主義の赤字」(民意と政策のズレ)が小さくなる。
「何が正しい政策なのか」を日本全体のレベルで議論しているかぎり、いくら議論しても、なかなかコンセンサス(合意)には到達できない。これがまさに、いまの日本の姿だろう。「何が正しい政策なのか」を議論する前に、まず日本を「小国」に分割すべきなのだ。
関連エントリ:
日本も連邦制にすればいいのでは
http://mojix.org/2010/08/04/renpousei
北海道独立論
http://mojix.org/2010/02/24/hokkaido_dokuritsu
田村耕太郎参議院議員「地方に課税自主権と自主法制定権まで認め、一国二制度に踏み込むべき」
http://mojix.org/2009/06/05/tamura_niseido
『政治主導はなぜ失敗するのか?』の中野雅至・兵庫県立大学大学准教授に聞く(2011年1月17日)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110112/217895/
これはすばらしいインタビュー。
中野雅至氏は元厚生労働省の官僚で、比較的官僚を擁護するスタンスで知られる論者だ。官僚叩きが一般化した日本では、このスタンスは逆に貴重かもしれない。
例えば、記事中にこういう部分がある。
<すべて官僚が悪いのか、といわれるならば、決してそうではないと思います。官僚は淡々と利害調整をしている。もし、それが間違えているならば、修正するには「こう資源配分をしろ」と指令する人間が必要だということです。
トップで「こうやれ」といってくれれば、そのメニューにしたがって官僚は行動する。けれども、そのメニューを誰も示さない。あるいは、きちんと責任をもって示してくれない。政治家は「やる」とはいいながら、政治生命を賭してまで追求しようとはしない。こういうことだと思いますけどね>。
最終的な決定権や人事権があるのは政治家(国会や内閣)なので、これはその通りだろう。仮に「リーク、悪口、サボタージュ」のような抵抗を官僚から受けたとしても、政治家は最後までそれと戦いぬくしかない。この政治家が正しいのであれば、国民はその政治家を支持し、応援するだろう。もしそうしないのであれば、最終的には国民の責任である。
とはいえ、やはりここでも、公務員を「クビにできない」という縛りはある。日本の問題はほとんどすべて、どこから辿っても、この「クビにできない」という制約に行き着くように思う。
この雇用の問題と並んで、日本にとって最大のボトルネックになっていると私が思うのは、「国が大きすぎる」という問題だ。日本はほとんどあらゆるものが中央集権方式になっており、各地方が自己決定できる範囲が小さすぎる。この中野雅至氏へのインタビューでは、後半部分でズバリその話が出てくる。
<つまるところ、いまの日本の問題は発信力でも何でもなくて、「コンセンサスが築けない」ということですから。消費税はみんなノーという、社会保障費を減らすかというと嫌だという。あそこが悪い、ここが悪いといって、ごまかしつづけて20年たっている。日本人、日本社会は、マーケット重視の小さな政府路線にも、政府の力を使う大きな政府路線にも同意しない。どちらの政策にもコンセンサスを築けないまま、その場しのぎの政策を繰り返しているということです>。
<そのあいだに、世界にはBRICsが出てきて、冷戦が崩壊してどんどん変わっているのに、日本のなかでは「ああでもない、こうでもない」といい合っていて、コンセンサスがひとつも築けない。それならば、もう思い切って分割した方がマシですよ>。
<具体的に言うならば、中央政府の役割を外交とか安保とか、通貨などにぐっと絞って、あとは道州制にして分割する。そうした方がコンセンサスが築ける。お互いが顔の見える範囲にいれば、税金を払って支え合うという政策でも、それぞれが自助努力でがんばる政策でも、コンセンサスを築きやすいと思います。そして、地方政府の役割は社会保障を含めて、大きな政府でも小さな政府でも、道州ごとに決めればいい。大きな政府を取る関西州があってもいいし、小さな政府を取る東北州があってもいいわけです>。
これには100%賛同する。この話は、「北海道独立論」や「日本も連邦制にすればいいのでは」、最近でも「田村耕太郎「この際、日本を30のシンガポールに分けたらどうか?」」など、このブログではたびたび書いている。
日本の政治がいつも停滞するのは、これだけ国が大きいのに、なんでも国のレベルで合意しようとするからだ。これは中央集権制の「構造的必然」である。どんなテーマであっても、必ず改革に抵抗する勢力はあらわれる。自分たちの利権や既得権益がかかっているから、抵抗勢力はどんな方法を使ってでも、改革を潰そうとする。こうして、いつまで経っても、ほとんど何も改革されず、政治家と役人の給料が空費されていく。
中央集権制というのは、ザックリいえば「新興国向けの国のかたち」である。国民はツベコベいわずに、「お上」の言うことに黙って従う。要するに「国家資本主義」だ。国民は自由がないかわりに、一定の生活を国が保障してくれる。国民はただ、「お上」に言われた通りにやっていればいいのだ。
しかし先進国になると、国民の知識や政治意識も高まり、自由を求めるようになる。こうなると、中央集権制ではやっていられない。連邦制や道州制によって国を分割し、それぞれの「小国」が大半のことを自己決定できるようにする。これで、「民主主義の赤字」(民意と政策のズレ)が小さくなる。
「何が正しい政策なのか」を日本全体のレベルで議論しているかぎり、いくら議論しても、なかなかコンセンサス(合意)には到達できない。これがまさに、いまの日本の姿だろう。「何が正しい政策なのか」を議論する前に、まず日本を「小国」に分割すべきなのだ。
関連エントリ:
日本も連邦制にすればいいのでは
http://mojix.org/2010/08/04/renpousei
北海道独立論
http://mojix.org/2010/02/24/hokkaido_dokuritsu
田村耕太郎参議院議員「地方に課税自主権と自主法制定権まで認め、一国二制度に踏み込むべき」
http://mojix.org/2009/06/05/tamura_niseido