2012.08.31
日本国債はほぼ国内で消化されているから日本は問題ない?
「日本国債はほぼ国内で消化されているのだから、日本の財政は問題ない」といった意見をしばしば見かける。これについて私の考えを書いてみたい。

国債とは、国の借金である。国債を買うということは、国にお金を貸すことだ。

「日本国債はほぼ国内で消化されているから日本の財政は問題ない」という考え方の根拠としてよく見かけるのは、「日本国債はほぼ国内で消化されているので、国にお金を貸しているのも日本人である。よって日本人は国債という資産も持つのだから、日本トータルで見れば借金することにならない」、といった説明だ。

この説明は、大きく間違ってはいない。国債は資産であり、国債を持つのが日本人であれば、日本トータルでは借金にならないだろう。

しかし、実際に何が起きているのかを冷静に考えてみれば、決して大丈夫ではないことがわかる。

そもそも、なぜ国は借金できるのか。いずれ、その借金をちゃんと返すからだ。その借金を返すお金はどこから来るかというと、もちろん税金である。

そもそも、なぜ国は借金しているのか。税金で入ってくる以上に、お金を使っているからだ。収入より支出のほうが多いから、借金しなければならない。日本政府の場合、ざっくり言って、収入の倍くらいの支出がある。日本の財政がひどくなっていくのは、収入より支出のほうが大きい、というこの状態を改めないからだ。

国の借金は、結局のところ税金で返すので、国の借金は「わたしたちの借金」である。その「わたしたち」に対してお金を貸しているのは、国債を買った人や組織である。つまり、国の借金がふくれあがっているということは、「わたしたち」が国債保有者からたくさん借金していることを意味する。

「わたしたち」が国債保有者からたくさん借金していて、その借金はますます増えつづけている。これがいまの日本の状態だ。「わたしたち」は借金がたくさんあるので、いくらがんばって働いても、そのうちかなりの割合を借金の返済にあてていかなければならない。

この借金が、ほんとうに自分自身の借金(住宅ローンなど)であれば、返すのは当然だし、返すためにがんばって働こうという気にもなる。しかし、国債という「わたしたち」の借金は、政府の判断でどんどん支出した結果、できあがったものだ。政府の支出には、ムダなものがたくさんある。そのムダな支出のツケを、「わたしたち」は払わされるわけだ。

自分が借金したわけでもないのに、政府が借金を増やしつづけるので、それを税金のかたちで払わなければならない。税金は多くの場合、利益や収入に対してかかり、利益や収入が多くなればなるほど、税率も高くなる。政府の借金が増えつづけている限り、政府はどのみち増税するしかない。これでは、「もっとがんばって働いて、利益や収入をさらに多くしよう」というインセンティブは低下する。「いくら働いたって、税金でたくさん持っていかれるだけだから、バカバカしい」と考える人が増えるだろう。

こうして、「もっとがんばって働こう」という意欲が削(そ)がれてしまう。これが最大の問題なのだ。働く意欲が削(そ)がれれば、価値の生産量は減る。価値の生産が減れば、国は貧しくなっていくしかない。

日本国債がほぼ国内で消化されていて、国にお金を貸しているのが日本人だとしても、政府の勝手な支出のために増税になれば、働く意欲は減ってしまう。

結局のところ、「政府の支出が多すぎる」ということ、これが問題の核心だ。いまの支出レベルを前提とする限り、いくら増税しても足りない。増税は働く意欲を減らし、価値の生産を減らし、国の経済を落ち込ませる。収入に見合ったレベルまで、政府の支出を減らすしかないのだ。

「日本国債はほぼ国内で消化されているから日本の財政は問題ない」という考え方は、支出が多すぎるいまの財政を肯定してしまうため、問題がある。いっぽうで、単に「増税すればいい」という増税論も問題がある。支出が多すぎるという構造を変えずに、いくらでも増税すればいいというのでは、経済が死んでしまう。

いまの日本に必要なのは、政府の支出を減らし、税制を簡素化することだ。減税や規制改革も必要だが、まずは多すぎる支出を減らすことと、税制を簡素化するだけでも、財政が改善に向かい、それが国民への良いメッセージになる。


関連エントリ:
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http://mojix.org/2012/08/16/naze-enyasu
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