インフレ待望論の「危険な罠」 信頼が失われるのは一瞬だが、失われた信頼を一瞬で元に戻すことはできない
ロイター - コラム:インフレ待望論の「危険な罠」=佐々木融氏(2012年10月2日 18:34 JST)
http://jp.reuters.com/article/jp_forum/idJPTYE89104F20121002
<現在日本で行われているデフレ対策は、端的に言えば、日本銀行の積極的な金融緩和によって市場に資金を大量供給し貨幣価値を低下させることでインフレを引き起こすというものだ。しかし、そのような方法では、狙い通りインフレになったところで、資産家ばかりが喜ぶだけの結果にならないだろうか。そして、経済的に困窮している人々の状態は改善するどころか、さらに悪化するのではないかと危惧している>。
JPモルガン・チェース銀行の佐々木融(ささき・とおる)氏が、インフレ待望論の危険性について解説している。実にわかりやすく、おもしろい内容だ。
佐々木氏はまず、実物要因によるインフレと、貨幣要因によるインフレの違いを説明する。
<インフレには大きく分けると、実物要因によるインフレと、貨幣要因によるインフレの二つの種類がある。一つめの実物要因によるインフレは、さらに需要サイドによる要因と供給サイドによる要因に分けられる>。
<簡単に言えば、前者は需要の増加が牽引するインフレ、後者は原油価格が上昇することなどで発生するインフレである。日本経済に本来必要なタイプのインフレは、前者の需要サイドの要因によるインフレであり、これならば、雇用環境も改善し、現在に比べたら明るい未来となるだろう。また、このタイプのインフレの場合、物価が上昇したら需要が弱まり、それ以上物価は上昇しないため、ハイパー・インフレにはならない>。
<インフレを大別した場合の、もう一つのタイプ、貨幣要因によるインフレは、貨幣価値が下がることによって起こるインフレである。実は日本の現行政策は、この種のインフレを発生させようとしているから問題なのである。この要因によるインフレは同じインフレでも好ましいものとはいえない>。
貨幣要因によるインフレは、なぜ好ましくないのか。ここで佐々木氏は、わかりやすいたとえ話を出す。
<貨幣価値は、極限まで低下しうる。貨幣の価値とは、それに対する人々の信認によって成り立っているからだ。極端なことを言えば、日銀の本支店に行くと札束が積んであり、これをいくらでもつかんで持っていって良いということになったら、誰も1万円札の価値を認めなくなるだろう>。
<たとえば、今、近所の寿司屋に1万円札を1枚持っていけば、美味しい寿司をたらふく食べさせてくれるかもしれないが、誰もが日銀でたくさんの1万円札をつかみ取ってこれるということになったら、1万円札を1枚持っていっても、近所の寿司屋は「簡単につかみ取りできる1万円札が10枚あっても寿司は出せない」と言うだろう。つまり、寿司1人前の価格は10万円以上に暴騰する。1万円札をつかみ取ってこれるのは自分だけではない。皆がそうできるのだから、1万円札の価値は暴落、つまり物の値段は暴騰するのだ>。
<仮に今あなたが保有している虎の子の預金が100万円だったとしよう。そして、日銀や政府が本当にヘリコプターで1万円札を大量にばら撒いたことを想像して欲しい。あなたが数年あるいは何十年も一生懸命働いて貯めた100万円と、たまたま1万円札がばら撒かれた場所にいた人が10分程度で拾いあげた100万円は同価値である>。
<それほど簡単に100万円を拾えるようになったのなら、100万円の価値は暴落しよう。今なら100万円あれば家族4人で海外旅行も行けるだろうが、1万円札が大量にばら撒かれた後は、せっかく貯めた100万円でも、おそらく近場の温泉宿にも泊まれなくなっている。本当にそれが幸せな世界なのか>。
ヘリコプターでカネをばら撒くというのは、いまのFRB議長であるベン・バーナンキが実際に用いた表現であり、バーナンキはこれによって「ヘリコプター・ベン」と呼ばれるようになった。金融緩和とは要するに、「ヘリコプターでカネをばら撒く」ことなのである。
<残念ながら、日銀にさらなる積極的な金融緩和を求める人々は、この種の貨幣価値の低下によってインフレを発生させることを求めているとしか思えない。金融緩和で貨幣価値を微妙に1―2%だけ下げること(つまり1―2%のインフレ)は、かなりの至難の業だ。大量の貨幣供給を目の当たりにして、人々の貨幣に対する価値観が群集心理で変わり始めたら、その変化は一度に大幅に発生してしまう可能性が高い。そうなれば、日本の個人金融資産の過半を占める現預金は実質的に大きく目減りすることになる>。
ここが、このコラムの要点だろう。貨幣の価値は、貨幣に対する信頼の上に成立している。貨幣価値を1~2%だけ下げるということは、貨幣に対する信頼を1~2%だけ下げる、ということだ。果たして、そんなことができるのだろうか。貨幣の量はコントロールできたとしても、群集心理はコントロールできない。
信頼を築きあげるのは時間がかかるが、信頼が失われるのは一瞬である。そして、いったん信頼が失われれば、それを一瞬で元に戻すことはできない。そんなことは、誰でも知っているだろう。しかし、貨幣価値を自在にコントロールできるという考え方は、人々の信頼を自在にコントロールできて、失われた信頼も一瞬で回復できる、という無茶な考え方であるように思える。
佐々木氏はさらに、インフレ・デフレと格差の関係についても説明している。
<「貧富の格差」拡大の主因をデフレに求める主張は、間違っていると思われる。過去20年以上資産価格が上昇せず低水準の状態が続いていることに対して、本当に頭を悩ましているのは資産家なのだ。デフレ環境下では、資産のほとんどが銀行預金である人と資産家の格差はむしろ縮小している>。
<インフレ下の方が、持てる者の富は増え、持たざる者の購買力は低下する。つまり、インフレ下の方が、貧富の格差は拡大するのである。保有金融資産に占める銀行預金の割合が多い人は、インフレになったら本当は自分が困るということは認識しておいた方が良いだろう>。
これも、まったくその通りだ。
資産家や富裕層は、株や不動産をはじめ、現金・預金以外の資産を持っている。これは、自分たちの資産をさまざまな種類の資産(アセットクラス)に分けて、資産を減らさないようにリスク分散しているからだ。資産家や富裕層は、単にカネを持っているだけではなく、一般にマネーリテラシーも高いので、多かれ少なかれ、このような運用をおこなっている。
これに対して一般人は、株や不動産を持っていたとしてもわずかだし、せいぜい銀行預金くらいしか持っていない。これは、インフレでは不利である。株や不動産のように値上がりする資産を持っていない上に、日々の買い物ではなんでも値上がりして、しかし給料はそれほど上がらないので、むしろ生活が苦しくなる。
少しでもインフレのきざしが見えれば、マネーリテラシーの高い資産家や富裕層は、一瞬で資産を移動させ、株や商品(先物)を買いに回る。これはちょうど、先の「1万円札つかみどり」や「ヘリコプターでカネをばら撒く」話で言えば、その「つかみどり」や「バラマキ」の情報を日々収集することに余念がなく、その現場にすばやく到着してカネを回収するために、専門部隊まで雇っているというのに近いだろう。
中央銀行が金融緩和すると、ヘッジファンドなどが商品(先物)を買いあがる。これによって、原油や穀物、金属などが高騰する。すると、なんでも値上がりしていき、一般人は困ることになる。ヘッジファンドに資産運用を任せている客の中には、資産家や富裕層ももちろんいる。よって、ここではちょうど、一般人から資産家や富裕層に対して、富が移動していることになる。インフレになると格差が大きくなる仕組みが、ここには直接あらわれている。
コラムの最後で、佐々木氏はこのように書いている。
<念のため、最後に指摘しておくが、筆者は「だからデフレが良い」と言っているのではない。緩やかなインフレ基調が続くことが経済成長にとって好ましいのは言うまでもない。ただ、問題なのはインフレを目指す方法だ>。
<インフレは本来、構造改革や税制改革、規制緩和などで需要を喚起することによって発生させるべきものだ。金融政策による貨幣価値の低下を通じて、国民の預金の価値を目減りさせる(購買力を低下させる)ことで引き起こすべきものではない>。
これも、まったくその通りである。このコラムで佐々木氏が書いている内容は、私から見て賛同できるものばかりで、おかしいと感じる部分がひとつもない。
関連エントリ:
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http://mojix.org/2012/08/16/naze-enyasu
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http://mojix.org/2011/02/16/helicopter-money
http://jp.reuters.com/article/jp_forum/idJPTYE89104F20121002
<現在日本で行われているデフレ対策は、端的に言えば、日本銀行の積極的な金融緩和によって市場に資金を大量供給し貨幣価値を低下させることでインフレを引き起こすというものだ。しかし、そのような方法では、狙い通りインフレになったところで、資産家ばかりが喜ぶだけの結果にならないだろうか。そして、経済的に困窮している人々の状態は改善するどころか、さらに悪化するのではないかと危惧している>。
JPモルガン・チェース銀行の佐々木融(ささき・とおる)氏が、インフレ待望論の危険性について解説している。実にわかりやすく、おもしろい内容だ。
佐々木氏はまず、実物要因によるインフレと、貨幣要因によるインフレの違いを説明する。
<インフレには大きく分けると、実物要因によるインフレと、貨幣要因によるインフレの二つの種類がある。一つめの実物要因によるインフレは、さらに需要サイドによる要因と供給サイドによる要因に分けられる>。
<簡単に言えば、前者は需要の増加が牽引するインフレ、後者は原油価格が上昇することなどで発生するインフレである。日本経済に本来必要なタイプのインフレは、前者の需要サイドの要因によるインフレであり、これならば、雇用環境も改善し、現在に比べたら明るい未来となるだろう。また、このタイプのインフレの場合、物価が上昇したら需要が弱まり、それ以上物価は上昇しないため、ハイパー・インフレにはならない>。
<インフレを大別した場合の、もう一つのタイプ、貨幣要因によるインフレは、貨幣価値が下がることによって起こるインフレである。実は日本の現行政策は、この種のインフレを発生させようとしているから問題なのである。この要因によるインフレは同じインフレでも好ましいものとはいえない>。
貨幣要因によるインフレは、なぜ好ましくないのか。ここで佐々木氏は、わかりやすいたとえ話を出す。
<貨幣価値は、極限まで低下しうる。貨幣の価値とは、それに対する人々の信認によって成り立っているからだ。極端なことを言えば、日銀の本支店に行くと札束が積んであり、これをいくらでもつかんで持っていって良いということになったら、誰も1万円札の価値を認めなくなるだろう>。
<たとえば、今、近所の寿司屋に1万円札を1枚持っていけば、美味しい寿司をたらふく食べさせてくれるかもしれないが、誰もが日銀でたくさんの1万円札をつかみ取ってこれるということになったら、1万円札を1枚持っていっても、近所の寿司屋は「簡単につかみ取りできる1万円札が10枚あっても寿司は出せない」と言うだろう。つまり、寿司1人前の価格は10万円以上に暴騰する。1万円札をつかみ取ってこれるのは自分だけではない。皆がそうできるのだから、1万円札の価値は暴落、つまり物の値段は暴騰するのだ>。
<仮に今あなたが保有している虎の子の預金が100万円だったとしよう。そして、日銀や政府が本当にヘリコプターで1万円札を大量にばら撒いたことを想像して欲しい。あなたが数年あるいは何十年も一生懸命働いて貯めた100万円と、たまたま1万円札がばら撒かれた場所にいた人が10分程度で拾いあげた100万円は同価値である>。
<それほど簡単に100万円を拾えるようになったのなら、100万円の価値は暴落しよう。今なら100万円あれば家族4人で海外旅行も行けるだろうが、1万円札が大量にばら撒かれた後は、せっかく貯めた100万円でも、おそらく近場の温泉宿にも泊まれなくなっている。本当にそれが幸せな世界なのか>。
ヘリコプターでカネをばら撒くというのは、いまのFRB議長であるベン・バーナンキが実際に用いた表現であり、バーナンキはこれによって「ヘリコプター・ベン」と呼ばれるようになった。金融緩和とは要するに、「ヘリコプターでカネをばら撒く」ことなのである。
<残念ながら、日銀にさらなる積極的な金融緩和を求める人々は、この種の貨幣価値の低下によってインフレを発生させることを求めているとしか思えない。金融緩和で貨幣価値を微妙に1―2%だけ下げること(つまり1―2%のインフレ)は、かなりの至難の業だ。大量の貨幣供給を目の当たりにして、人々の貨幣に対する価値観が群集心理で変わり始めたら、その変化は一度に大幅に発生してしまう可能性が高い。そうなれば、日本の個人金融資産の過半を占める現預金は実質的に大きく目減りすることになる>。
ここが、このコラムの要点だろう。貨幣の価値は、貨幣に対する信頼の上に成立している。貨幣価値を1~2%だけ下げるということは、貨幣に対する信頼を1~2%だけ下げる、ということだ。果たして、そんなことができるのだろうか。貨幣の量はコントロールできたとしても、群集心理はコントロールできない。
信頼を築きあげるのは時間がかかるが、信頼が失われるのは一瞬である。そして、いったん信頼が失われれば、それを一瞬で元に戻すことはできない。そんなことは、誰でも知っているだろう。しかし、貨幣価値を自在にコントロールできるという考え方は、人々の信頼を自在にコントロールできて、失われた信頼も一瞬で回復できる、という無茶な考え方であるように思える。
佐々木氏はさらに、インフレ・デフレと格差の関係についても説明している。
<「貧富の格差」拡大の主因をデフレに求める主張は、間違っていると思われる。過去20年以上資産価格が上昇せず低水準の状態が続いていることに対して、本当に頭を悩ましているのは資産家なのだ。デフレ環境下では、資産のほとんどが銀行預金である人と資産家の格差はむしろ縮小している>。
<インフレ下の方が、持てる者の富は増え、持たざる者の購買力は低下する。つまり、インフレ下の方が、貧富の格差は拡大するのである。保有金融資産に占める銀行預金の割合が多い人は、インフレになったら本当は自分が困るということは認識しておいた方が良いだろう>。
これも、まったくその通りだ。
資産家や富裕層は、株や不動産をはじめ、現金・預金以外の資産を持っている。これは、自分たちの資産をさまざまな種類の資産(アセットクラス)に分けて、資産を減らさないようにリスク分散しているからだ。資産家や富裕層は、単にカネを持っているだけではなく、一般にマネーリテラシーも高いので、多かれ少なかれ、このような運用をおこなっている。
これに対して一般人は、株や不動産を持っていたとしてもわずかだし、せいぜい銀行預金くらいしか持っていない。これは、インフレでは不利である。株や不動産のように値上がりする資産を持っていない上に、日々の買い物ではなんでも値上がりして、しかし給料はそれほど上がらないので、むしろ生活が苦しくなる。
少しでもインフレのきざしが見えれば、マネーリテラシーの高い資産家や富裕層は、一瞬で資産を移動させ、株や商品(先物)を買いに回る。これはちょうど、先の「1万円札つかみどり」や「ヘリコプターでカネをばら撒く」話で言えば、その「つかみどり」や「バラマキ」の情報を日々収集することに余念がなく、その現場にすばやく到着してカネを回収するために、専門部隊まで雇っているというのに近いだろう。
中央銀行が金融緩和すると、ヘッジファンドなどが商品(先物)を買いあがる。これによって、原油や穀物、金属などが高騰する。すると、なんでも値上がりしていき、一般人は困ることになる。ヘッジファンドに資産運用を任せている客の中には、資産家や富裕層ももちろんいる。よって、ここではちょうど、一般人から資産家や富裕層に対して、富が移動していることになる。インフレになると格差が大きくなる仕組みが、ここには直接あらわれている。
コラムの最後で、佐々木氏はこのように書いている。
<念のため、最後に指摘しておくが、筆者は「だからデフレが良い」と言っているのではない。緩やかなインフレ基調が続くことが経済成長にとって好ましいのは言うまでもない。ただ、問題なのはインフレを目指す方法だ>。
<インフレは本来、構造改革や税制改革、規制緩和などで需要を喚起することによって発生させるべきものだ。金融政策による貨幣価値の低下を通じて、国民の預金の価値を目減りさせる(購買力を低下させる)ことで引き起こすべきものではない>。
これも、まったくその通りである。このコラムで佐々木氏が書いている内容は、私から見て賛同できるものばかりで、おかしいと感じる部分がひとつもない。
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