2012.12.14
日本でマンガが発達したのは、日本語が視覚的な言語だからだ、という仮説
先日の「米原万里「漢字かな混じり文は日本の宝」」に対する反応のなかに、マンガとのつながりを示唆するものがあった。

漢字が一種の「アイコン」であり、日本語が視覚的な言語なのであれば、日本でこれほどマンガが発達したことは、たしかに偶然ではなさそうな気もする。

手塚治虫は「漫画は一種の象形文字である」と述べたそうだ(「ポジティブで寛容なスタンスが文化を発展させる」で紹介した、『サルまん』のコラムにそう書かれている)。たしかに、手塚治虫の絵は「アイコン」っぽいので、「象形文字」に近い感じがする。『ドラえもん』とか『サザエさん』なんかも、アイコンに近いタイプだろう。

マンガの「ふきだし」では、狭いスペースにセリフを収めなければならない。「ふきだし」という1点だけ考えても、1文字あたりの情報密度が高く、視覚的な言語である日本語は有利である。

日本語という言語を使う日本人は、もともと視覚でのコミュニケーション(読み書き)に強いので、マンガという視覚の文化芸術になじみやすそうだ。そのうえ、「ふきだし」をはじめとして、マンガの中で文字を使うところでは、具体的な優位性がある。

「日本でマンガが発達したのは、日本語が視覚的な言語だからだ」という仮説は、けっこう有力だと思える。わりと誰でも考えつきそうな切り口ではあるので、おそらく研究などもすでにあるのではないだろうか。


関連エントリ:
米原万里「漢字かな混じり文は日本の宝」
http://mojix.org/2012/12/06/yonehara-nihongo
科学は日本語を必要としないが、文化は日本語を必要とする
http://mojix.org/2008/11/17/kagaku_bunka_nihongo
ポジティブで寛容なスタンスが文化を発展させる
http://mojix.org/2005/10/22/135549
漢字の可能性
http://mojix.org/2005/01/04/231854