福井俊彦「打ち出の小槌はない」
キヤノングローバル戦略研究所(CIGS)- 福井 俊彦 : 打ち出の小槌はない(2012.11.21)
http://www.canon-igs.org/management/toshihiko_fukui/20121121_1663.html
<インフレターゲットや国債の日銀引き受けなど、政府と日銀との関係について新聞紙面でいろいろな記事が目に着くようになった。私は、政治的な議論に直接関与する立場にはないが、通貨に対する信認、それと裏腹の関係にある国家に対する信認に絡む問題であるだけに、人々の間で真剣な議論がなされ、十分慎重に検討が進められることを願っている>。
前日銀総裁の福井俊彦氏が、通貨や中央銀行の成立経緯や役割について語り、政府と日銀のあり方について提言している。通貨や中央銀行の解説としてもわかりやすいし、提言もうなずける内容だ。ぜひ読んでみてほしい。
以下、いくつか抜粋。
<歴史的に振り返ってみると、自給自足、物々交換の時代を経て、人類の生活の知恵として通貨が生み出された。そして、通貨が人々から信用される基礎も、当初の素材価値(貴金属その他)から、発行者に対する信頼度へと次第に移行して来ている。その究極の姿が現在の金兌換保証なき紙幣(一片の紙切れ)である>。
<この紙切れが人々から信用されるためには幾つもの条件を満たす必要があるが、その中で最も重要な条件は何かと問われれば、第一に、通貨の総量が経済の実態に即して適切に調節されていること、第二に、通貨発行主体の財務が健全であること、の二点を挙げることが出来るように思う>。
<このように通貨は歴史の流れの中で自然に生み出されたものであるので、初めから通貨は誰が発行すべきか、と言ったような厳密な議論があったわけではない。
しかし、近代国家の成立が相次ぐ時代になって、一国において通貨を発行する権限を根源的に持っているのは誰か、それは国、即ち政府をおいて他にない、との考え方が一般的となり、政府の持つこの権限は「通貨高権」と呼ばれるようになった。しかし、政府が自国の貨幣や紙幣を全て発行してうまく行った実例がどれ程あったであろうか。現在も、政府の発行する通貨は額面の小さい補助貨幣に限られているのが通例である。
人々の信認は、通常は民間部門の主体に対するよりも政府に対する方が厚いとされているが、それでも税金を徴収せずに通貨発行で財政支出が賄えるとなると、政府と言えども規律を忘れがちとなり、政府の発行する通貨が人々から信用されなくなってしまう心配が付き纏う>。
<それでも、国債は最も信用のおける金融資産と考えられており、今のようにデフレが長く続いている状況の下では、国債ならば中央銀行が無制限に買い入れて金融緩和を図っても大丈夫だ、と考える人が出て来ている。
しかし、国債が人々から信用されるかどうかは、偏にその国債を発行している政府が規律正しく財政運営をしているかどうか、にかかっている。最近の欧州の状況を見るとこのことが非常によく分かる。
また、政府が中央銀行に対して限りなく国債の買い入れを求めたり、中央銀行の国債買い入れを当てにして財政の箍を緩めたりすると、そのこと自体が国債の信認を大きく傷つけることとなってしまう。買入国債が赤字国債でなく、建設国債であっても、公共投資対象物件の耐用年数に応じて償還しなければならないことを考えると、この間に非常に大きな差があるとは言い難い。
そして何よりも、中央銀行自身が自律性を欠いていると人々が認識した途端、通貨に対する信認は一挙に崩壊することとなろう>。
<更に進んで、政府が中央銀行に対して国債の直接引き受けを求めると、どういうことになるか。
中央銀行が国債を市場から買い入れる場合には、その国債は一旦市場で発行されているので、その限りでは一応市場の篩にかかっている。しかし、中央銀行引き受けで発行される場合には、市場外の発行となるため市場の評価とは無関係に発行される。その行き着くところ、もし中央銀行が政府の申し出通りに国債を引き受けなければならないとすると、それは政府自身による通貨の発行と実質的には同じこととなり、財政規律が最も失われ易いケースとなってしまう。そして中央銀行は、自律性はおろか存在価値そのものに疑念を抱かせることとなろう>。
<日本経済がいくら厳しい局面に立たされていると言っても、苦闘を避けて安易な道を選び、政府による日本銀行への干渉を正当化したり、国債の日銀引き受けへの道を開くとすれば、それは、先進国の地位を自ら放棄するのみならず、公的部門の累積債務が異常に膨らんでいる日本の実情を踏まえて考えると、これらの施策は、狙い通りインフレ期待を呼び起こして景気刺激の効果を生む前に、投資家離れと市場金利の上昇を呼び起こし、財政破綻、経済破綻の危険を手許へ引き寄せる結果となる可能性の方が大きいものと推察される。
日銀の金融緩和政策が経済実態に照らして十分かどうか、政府の経済政策と整合性が取れているかどうか、これらは今後とも徹底的に議論されて然るべき課題であるが、功を焦って一線を飛び越えると、日本再興のために様々な苦労と負担をしなければならないと覚悟している人々の心情を裏切り、未来への夢や国益の全てを一挙に淵に放擲することとなってしまう>。
まったくその通りだと思う。信頼が失われるのは一瞬だが、失われた信頼を一瞬で取りもどすことはできない。金利はコントロールできても、信頼はコントロールできないのだ。
関連エントリ:
インフレ待望論の「危険な罠」 信頼が失われるのは一瞬だが、失われた信頼を一瞬で元に戻すことはできない
http://mojix.org/2012/10/03/inflation-shinrai
もし日銀がヘリコプターで1万円札をバラまきはじめたら、何が起きるだろうか?
http://mojix.org/2011/02/16/helicopter-money
フォン・ミーゼス「通貨は市場経済が生み出したものであって、政府が生み出したものではない」
http://mojix.org/2010/05/25/inflation_destroys_savings
http://www.canon-igs.org/management/toshihiko_fukui/20121121_1663.html
<インフレターゲットや国債の日銀引き受けなど、政府と日銀との関係について新聞紙面でいろいろな記事が目に着くようになった。私は、政治的な議論に直接関与する立場にはないが、通貨に対する信認、それと裏腹の関係にある国家に対する信認に絡む問題であるだけに、人々の間で真剣な議論がなされ、十分慎重に検討が進められることを願っている>。
前日銀総裁の福井俊彦氏が、通貨や中央銀行の成立経緯や役割について語り、政府と日銀のあり方について提言している。通貨や中央銀行の解説としてもわかりやすいし、提言もうなずける内容だ。ぜひ読んでみてほしい。
以下、いくつか抜粋。
<歴史的に振り返ってみると、自給自足、物々交換の時代を経て、人類の生活の知恵として通貨が生み出された。そして、通貨が人々から信用される基礎も、当初の素材価値(貴金属その他)から、発行者に対する信頼度へと次第に移行して来ている。その究極の姿が現在の金兌換保証なき紙幣(一片の紙切れ)である>。
<この紙切れが人々から信用されるためには幾つもの条件を満たす必要があるが、その中で最も重要な条件は何かと問われれば、第一に、通貨の総量が経済の実態に即して適切に調節されていること、第二に、通貨発行主体の財務が健全であること、の二点を挙げることが出来るように思う>。
<このように通貨は歴史の流れの中で自然に生み出されたものであるので、初めから通貨は誰が発行すべきか、と言ったような厳密な議論があったわけではない。
しかし、近代国家の成立が相次ぐ時代になって、一国において通貨を発行する権限を根源的に持っているのは誰か、それは国、即ち政府をおいて他にない、との考え方が一般的となり、政府の持つこの権限は「通貨高権」と呼ばれるようになった。しかし、政府が自国の貨幣や紙幣を全て発行してうまく行った実例がどれ程あったであろうか。現在も、政府の発行する通貨は額面の小さい補助貨幣に限られているのが通例である。
人々の信認は、通常は民間部門の主体に対するよりも政府に対する方が厚いとされているが、それでも税金を徴収せずに通貨発行で財政支出が賄えるとなると、政府と言えども規律を忘れがちとなり、政府の発行する通貨が人々から信用されなくなってしまう心配が付き纏う>。
<それでも、国債は最も信用のおける金融資産と考えられており、今のようにデフレが長く続いている状況の下では、国債ならば中央銀行が無制限に買い入れて金融緩和を図っても大丈夫だ、と考える人が出て来ている。
しかし、国債が人々から信用されるかどうかは、偏にその国債を発行している政府が規律正しく財政運営をしているかどうか、にかかっている。最近の欧州の状況を見るとこのことが非常によく分かる。
また、政府が中央銀行に対して限りなく国債の買い入れを求めたり、中央銀行の国債買い入れを当てにして財政の箍を緩めたりすると、そのこと自体が国債の信認を大きく傷つけることとなってしまう。買入国債が赤字国債でなく、建設国債であっても、公共投資対象物件の耐用年数に応じて償還しなければならないことを考えると、この間に非常に大きな差があるとは言い難い。
そして何よりも、中央銀行自身が自律性を欠いていると人々が認識した途端、通貨に対する信認は一挙に崩壊することとなろう>。
<更に進んで、政府が中央銀行に対して国債の直接引き受けを求めると、どういうことになるか。
中央銀行が国債を市場から買い入れる場合には、その国債は一旦市場で発行されているので、その限りでは一応市場の篩にかかっている。しかし、中央銀行引き受けで発行される場合には、市場外の発行となるため市場の評価とは無関係に発行される。その行き着くところ、もし中央銀行が政府の申し出通りに国債を引き受けなければならないとすると、それは政府自身による通貨の発行と実質的には同じこととなり、財政規律が最も失われ易いケースとなってしまう。そして中央銀行は、自律性はおろか存在価値そのものに疑念を抱かせることとなろう>。
<日本経済がいくら厳しい局面に立たされていると言っても、苦闘を避けて安易な道を選び、政府による日本銀行への干渉を正当化したり、国債の日銀引き受けへの道を開くとすれば、それは、先進国の地位を自ら放棄するのみならず、公的部門の累積債務が異常に膨らんでいる日本の実情を踏まえて考えると、これらの施策は、狙い通りインフレ期待を呼び起こして景気刺激の効果を生む前に、投資家離れと市場金利の上昇を呼び起こし、財政破綻、経済破綻の危険を手許へ引き寄せる結果となる可能性の方が大きいものと推察される。
日銀の金融緩和政策が経済実態に照らして十分かどうか、政府の経済政策と整合性が取れているかどうか、これらは今後とも徹底的に議論されて然るべき課題であるが、功を焦って一線を飛び越えると、日本再興のために様々な苦労と負担をしなければならないと覚悟している人々の心情を裏切り、未来への夢や国益の全てを一挙に淵に放擲することとなってしまう>。
まったくその通りだと思う。信頼が失われるのは一瞬だが、失われた信頼を一瞬で取りもどすことはできない。金利はコントロールできても、信頼はコントロールできないのだ。
関連エントリ:
インフレ待望論の「危険な罠」 信頼が失われるのは一瞬だが、失われた信頼を一瞬で元に戻すことはできない
http://mojix.org/2012/10/03/inflation-shinrai
もし日銀がヘリコプターで1万円札をバラまきはじめたら、何が起きるだろうか?
http://mojix.org/2011/02/16/helicopter-money
フォン・ミーゼス「通貨は市場経済が生み出したものであって、政府が生み出したものではない」
http://mojix.org/2010/05/25/inflation_destroys_savings