2009.12.22
「訪問販売お断りシール」問題 相手のいやがることをする「自由」はない
asahi.com - 大臣に橋下知事「どっちの味方」 訪問販売お断りシール(2009年12月21日13時7分)
http://www.asahi.com/politics/update/1221/OSK200912210041.html

<福島瑞穂消費者担当相と大阪府の橋下徹知事が21日、府庁で会談し、1日の改正特定商取引法施行の際に問題となった「訪問販売お断り」シールの解釈を巡って論戦した>。


写真:訪問販売お断りシールを手に意見を交わす福島担当相と橋下知事=21日、大阪府庁訪問販売お断りシールを手に意見を交わす福島担当相と橋下知事=21日、大阪府庁

<橋下知事は、消費者庁がお断りシールを「業者の訪問を拒む意思表示にならない」と判断したことを問題視する新聞記事のコピーを渡し、「お互い弁護士だから分かると思うが、高齢者や知的障害の方を守るには業者と顔を合わさないことが最も重要。業界と消費者、どっちの味方なんですか」と詰め寄った。
 福島担当相は「(シールは)再勧誘を禁止する特商法に基づくものには該当しないが、条例を定めた自治体では有効」と釈明。消費者庁もその後、「断る意思表示にはなる」と見解を改めたことを説明した。しかし、知事は「わかりにくすぎる。大臣の姿勢は霞が関擁護でしかない」と応酬。福島担当相は「特商法を改正するかどうか、現場の声を聞いて改めて考えたい」と法改正を検討する可能性に言及した>。

これは完全に橋下知事が正しいと思う。

訪問販売したい企業と、訪問販売されたくない消費者がいる場合、消費者側が「訪問販売されたくない」と意思表示しているのに、企業が無理やり訪問販売することは、許されるはずがない。

相手がいやがっているのに、それをする「自由」など存在しない。人殺しの「自由」がないのと同じだ。

私は基本的には規制緩和論者であり、日本には無意味な規制が多すぎ、これを撤廃すべきだと考えているが、あらゆる規制に反対するわけではない。

私は「自由を失わせる規制」には反対するが、「自由を守る規制」は支持する。

訪問販売の場合、訪問販売する企業と、訪問販売される消費者の2者がいて、この2者がともに「訪問販売に合意」しているときにのみ、訪問販売が成立する。いわゆる「契約の自由」だ。

しかし、少なくとも一方がこれに合意しない場合は、訪問販売は成立しない。消費者側が訪問販売されたくないのに、企業が強引に訪問販売することが、訪問販売という販売方法の問題である。通常の買い物であれば、消費者がみずから店に行って、自分の意思で欲しいものを買う。買いたい消費者と、売りたい店のあいだに「合意」が成立している。

私が解雇規制借地借家法に反対するのは、契約の当事者の一方である企業や大家が、契約を解除したいと思っても解除できないという「強行規定」だからだ。この強行規定は、企業や大家が一般に「強者」であり、クビになったり家を追い出される側が「弱者」だから、「弱者保護」のために存在している。しかし、弱者保護やセーフティネットが社会に必要だからといって、その役割を契約の相手方である「強者」に負わせることを政府が強制していいのだろうか。

「強者」なんだから自由を守られなくてもいい、という考え方はおかしい。「強者」か「弱者」かに関係なく、「契約の自由」があるべきだし、いやがることを強制されない「自由」が誰にもある。

この「訪問販売お断りシール」問題では、訪問販売したいのが企業側で、訪問販売されたくないのが消費者側だから、「企業が消費者の自由を侵害している」ことになる。一般に企業が「強者」で、消費者が「弱者」だから、この場合は「弱者がいじめられている」という図式になり、わかりやすい。

しかし重要なのは、「強者」か「弱者」かではなくて、相手のいやがることをする「自由」は誰にもないということ、2者が「合意」しなければ何ごとも成立しない、ということだ。「弱者」だから自由が守られるべきで、「強者」なら自由は守られなくてもいい、ということにはならない。スポーツの試合で、弱い側をひいきするようなジャッジが許されないのと同じだ。これが「公正(フェア)」という言葉の意味である。


関連エントリ:
市場とは「自分の欲しいものにしかカネを出さない人の集まり」である
http://mojix.org/2009/11/25/what_is_market
「法学的思考」と「経済学的思考」
http://mojix.org/2009/10/06/hougaku_keizaigaku
セブンイレブンを擁護する 「強者か弱者か」ではなく「公正(フェア)かどうか」で判断すべき
http://mojix.org/2009/08/14/seven_fairness