2010.08.24
経営者の「クビ切り」をするのは「市場」である
昨日のエントリ「解雇規制による硬直的な労働市場こそ、日本経済が浮上できない最大の原因である」に対して、はてなブックマーク

・人材の価値を正しく判断できない経営者に、自由に解雇させていいのか?
・ダメな経営者こそクビ切りされるべきでは?

といった趣旨のコメントがあった。

私はこれまで、「解雇規制をなくせ」という趣旨のエントリをたくさん書いてきたが、それに対して必ず返ってくる典型的な反論のパターンがいくつかあり、これもそのひとつである。こう考える人はほかにもいると思うので、昨日の補足を兼ねて書いてみたい。

このような見方が出てくること自体が、現状では正社員が保護されすぎて「市場」から隔離されているために、労働者の「常識」というものが、「市場」とズレてしまっていることを示していると思う。

経営者を「クビ切り」するのは、ほかでもない「市場」である。ダメな経営をしていれば、その会社はすぐに傾き、倒産するだろう。そうなれば、その経営者は当然食いっぱぐれる。ダメな経営をしていたので、「市場」から「クビ」を宣告されたのだ。

これは経営者に限らず、あたり前のことだ。価値あるものを世の中に提供すれば、それをお金を出して買いたいという人があらわれる。価値あるものを提供できなければ、お金が入ってこないので、食いっぱぐれる。これが「市場」だ。

お店に行って、欲しくもないものをわざわざ買う人はいない。誰だって、自分の欲しいものだけを買い、自分の欲しくないものは買わない。みんなそうである。これが「市場」だ。

「市場」とは、ひとりひとりの「買う」「買わない」という判断がたくさん集まったものである。もし、あなたが提供する商品やサービスを「買う」という人があらわれなければ、あなたにはお金が入ってこないし、食いっぱぐれる。それが「市場」だ。

厳しいだろうか?しかし、その「市場」というものは、あなたが日々おこなっている「買う」「買わない」という判断、そういう判断がたくさん集まったものなのだ。「市場」が厳しいと思うならば、あなたの「買う」「買わない」という判断は厳しくないかどうか、考えてみてほしい。

昨日のエントリにも書いたが、「タダメシは絶対にない」というのが経済の鉄則である。代金を払わずにメシを食えないのと同じように、何らかの価値を提供することなしに、お金が入ってくることはありえない。それも、「これはとても価値があります」といくら主張したところで、それにお金を出して買う人が1人もあらわれなければ、お金は入ってこない。「オレは才能がある」とうぬぼれるミュージシャンが、売れないことでいくら世間を呪っても、お金を出して買う人がいなければ、お金は入ってこない。それが「市場」だ。

労働者は、企業に対して「労働サービス」を売り、その代金として給料を得ている。花屋が花を売り、豆腐屋が豆腐を売り、ラーメン屋がラーメンを売っているのと同じように、労働者は「労働」を売っているのだ。いまの日本では、企業の側から正社員を解雇できないように規制している。企業が労働者から「労働サービス」を買うならば、一生買い続けることを強制されているのだ。いわば、「労働サービス」がバラ売りされておらず、40年分のまとめ買いしか許されていないのと同じだ。

花や、豆腐や、ラーメンであれば1つから買えるのに、正社員の「労働サービス」は、40年分まとめ買いしなければならないのだ。だから、正社員の雇用が出てこないのである。解雇規制によって労働者を「保護」したつもりが、「40年分のまとめ買い」を企業に強制することによって、企業が「労働サービス」を買いたくても買えなくしているのだ。

解雇規制をなくし、解雇を自由にすれば、「労働サービス」を自由な単位で売買できるようになる。「市場」というのは本来、そのような自由な取引からなるものだ。そして、「労働サービス」を自由な単位で売買できるようになれば、「労働サービス」は現状よりももっと「売れる」。つまり、雇用はもっと「増える」のだ。

あなたがお気に入りの店、例えばいつも行くラーメン屋があるとして、それは一生そのラーメン屋に通うことを強制されているからではなくて、いつも行きたくなるくらい、そのラーメンがおいしいからだろう。価値あるものを世の中に提供すれば、強制しなくても、買い手はあらわれるし、毎日のように通うお客さんも出てくる。

雇用も同じだ。良い「労働サービス」を提供できる労働者は、解雇規制などなくても、会社は解雇しないし、むしろ給料や待遇をさらに上げるだろう。なぜならば、そんなにいい「労働サービス」であればウチも欲しいと思う会社があらわれて、もっと給料を出すからウチに来いという引き抜きがかかるからだ。

引き抜きがかかるようなスター人材でなく、ごく普通の労働者であっても、会社はすぐにクビにするわけではない。会社の判断基準とは、その人材の稼ぎや働き、人材価値が、払っている給料・かかっているコストに釣り合っているかどうか、つまり「ペイしているかどうか」がすべてである。スター人材でなくても、少しでもペイしていて、トータルでプラスの価値を会社に生んでいれば、会社はその人をクビにする理由がない。

では、どの会社からもクビにされ、行き場のなくなった失業者はどうするのか。こういう人はもちろん、セーフティネットで救う必要がある。しかし現状の日本では、そのセーフティネットを政府が提供するのではなく、民間企業に「泣いてもらう」というかたちになっている。これは例えば、飲食店に対して「ホームレスが来たら、タダで食わせてやりなさい」と強制しているのに近い。こういう「関係の強制」というのはまずいやり方であり、社会に不満が溜まる。解雇規制というものは、この「民間企業へのセーフティネット押しつけ」という意味が大きい。この規制が、労働市場を「市場」でないものにしてしまっているのだ。

「セーフティネット」と「市場」は役割が異なるので、はっきり区別すべきものだ。「市場」は自由にして価値を創出させ、そこからこぼれた人材を「セーフティネット」で救い、「市場」に送り返す、というのが正しい「社会設計」である。

しかし現状の日本では、「市場」を規制して「強者」を不自由にすることで、「セーフティネット」の代わりだとカンチガイしてしまっている。これでは、「市場」が硬直化して経済が沈下していく上に、「セーフティネット」もまともに機能しない。実際、「セーフティネット」のつもりの解雇規制は、正社員は保護するかもしれないが、真の弱者である非正規社員やフリーター、失業者は保護しないどころか、再就職のチャンスを奪い、とことん排除する仕組みになってしまっている。「セーフティネット」どころか、いわば「身分制度」が合法化されているようなものではないか。

「ともかく解雇はダメだ」という感情論は、いまの日本の問題をひとつも解決できないし、むしろ問題を強化し、弱者をさらに追い落としてしまう。解雇規制の緩和論者は、この「いま起きている問題」を重視して、これを解決しようとしている。緩和論を否定して解雇規制を支持するならば、この「いま起きている問題」をどう解決するかの代替案を示さなければ無責任だし、結果として「抵抗勢力」と同じではないだろうか。


関連エントリ:
解雇規制による硬直的な労働市場こそ、日本経済が浮上できない最大の原因である
http://mojix.org/2010/08/23/kaikokisei-bottleneck
労働者は「労働サービス」の提供者であり、その意味では「経営者」である
http://mojix.org/2010/03/18/worker_service_provider
解雇規制が生み出す「巨大な生涯契約」の構造 企業の「負債」、正社員の「債権」
http://mojix.org/2010/03/10/shougai_keiyaku
市場とは「自分の欲しいものにしかカネを出さない人の集まり」である
http://mojix.org/2009/11/25/what_is_market