解雇規制による硬直的な労働市場こそ、日本経済が浮上できない最大の原因である
池田信夫blog - 最悪の時はこれからだ
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51470391.html
<来週の週刊ダイヤモンドの特集は「解雇解禁」。といっても解雇が解禁されたわけではなく、解雇規制を解禁せよというキャンペーンだ。内容は、当ブログでも論じてきたように、中高年のノンワーキングリッチを過剰保護する解雇規制(および司法判断)が若年失業率を高め、世代間の不公平を拡大しているという話である>。
これは画期的な特集だろう。城繁幸氏もこのダイヤモンドの特集に言及し、<メディアでこの主張をすることは、既にタブーではなくなった>と書いているが、たしかにそう思う。
私もこのブログで解雇規制についてしばしば書いてきたが、書くたびにいつも反発が起きることは変わらないものの、特にこの1年くらいで理解がひろがってきたという実感がある。こういう「タブー」的なテーマは、マスコミであまり採り上げられないので、ネットが果たす役割は小さくない。
池田信夫氏や城繁幸氏は、このテーマに関しては規制緩和派(解雇規制反対派)の筆頭格とも言える代表的な論者だが、両氏とも著書や雑誌などの紙媒体で書くだけでなく、ネットでも精力的に意見発信をおこない、つねに賛否両論の反応を巻き起こしている。解雇規制のようにタブー的なテーマの場合、まずそれに注目してもらい、問題の構造に気づいてもらうことが重要なので、両氏のような論者がネットでも活躍していることの意味は大きい。こういうテーマは、学会や専門家のあいだだけで知られていてもまるで意味がなく、一般人を巻き込み、多くの人に自分で考えてもらうことに意味がある。
しかし、ネットレベルでは普通に論じられるようになってきた解雇規制というテーマも、政治家にとってはいまだにタブーである。池田氏はこう書いている。
<おまけに、どの党も選挙民の反発を恐れて、この問題に取り組もうとしない。自民党は、先の参院選で「解雇規制の緩和」を打ちだしたが、選挙戦ではまったく言及しなかった。みんなの党は、昨年の総選挙では派遣労働の規制強化を打ちだしていたが、さすがに参院選では反対に転換した。しかし彼らも、この問題には選挙戦では何もふれなかった>。
<政治家が、まったく問題を認識していないわけではない。先日、ある党の勉強会で雇用問題の話をしたら、元党首が「あなたのいうことは理屈の上ではよくわかる。私も個人的には賛成だが、選挙で解雇規制を緩和するなんていったら絶対に勝てない」といった。増税と同じで、政権基盤のよほど強い政権でないと、手はつけられないだろう>。
以前、このテーマについて中川秀直氏が率直な意見を出していたことがあった(「中川秀直「非正規雇用の方を切り捨てて守ろうとしているのは、経営者の利益だけではなく、実は正規雇用の方の雇用であり賃金です」」)。このくらいでも、政治家としては異例なほど「タブー」に踏み込んだ勇気ある発言であり、このレベルのことを政治家が言っているのを私はほとんど聞いたことがない。そもそもこの問題をわかっていない政治家ももちろん少なくないだろうが、たとえきちんと認識していても、国民に向かって「解雇されるリスクを受け入れろ」とは、恐ろしくて口にできないだろう。
しかし、政治家にとって解雇規制が「タブー」でありつづけ、この制度に手がつけられない限り、日本経済はずっと浮上できないだろう。つまり、この状況を打開するためには、ネットでこのテーマについて話題にしたり、ダイヤモンドのようなマスコミの一部でこれを採り上げて、解雇規制というテーマを「国民的議論」にしていくことが有効だろう。そうすることで、政治家にとってもこのテーマが「タブー」でなくなり、率直な議論がしやすくなる。
<硬直的な労働市場は単なる労使問題ではなく、世代間の不公平を拡大し、人的資源の効率的配分を阻害して潜在成長率を低下させている。政治家が解雇規制の問題をタブーにしている限り、どんな「成長戦略」を打ちだしても日本は成長できない。それはデフレがどうとかいう問題より100倍ぐらい重要な、日本経済の最大のボトルネックなのである>。
まったく同感だ。解雇規制がある限り、要するに企業は日本で正社員を採用できないので、企業も成長できないし、雇用も出てこない。よって政府には税収も入らず、いっぽうでバラマキを求められるので、財政赤字は拡大するばかりだ。金融緩和も、経済成長や生産性向上をもたらすわけではなく、本質的な解決にならない。いまの日本に足りないのはカネではなく、経済成長・生産性・投資機会のほうなのだ。カネはむしろ余っていて、投資先がないために、消極的に国債に向かっている。
いまの日本から経済成長・生産性・投資機会を奪っている最大の要因は、「雇用における不公平」だと思う。あまり努力しなくても収入や地位が高い人と、いくら努力しても収入も地位も上がらない人がいる。その差を生んでいるのは実力や努力ではなく「身分」であり、その「身分格差」を支えているのが要するに「解雇規制」なのである。この身分格差のバカバカしさによって、身分が上の人も身分が下の人も努力するインセンティブを喪失し、やる気や向上心を失いがちなのがいまの日本だろう。
解雇が自由になれば、みんなクビになってしまうのではと恐れる人がいる。これは経営を知らない人の考えであって、実際はむしろその反対に、採用が増えるのだ(雇用のコスト・リスクが減るので)。これで労働市場が流動化して、実力や人材価値に応じて収入や地位が配分される「フェア」な状態に近づいていく。これこそがまさに「市場」であって、がんばっていい成果を出せばそれに応じて収入や地位があがる、というマトモな状態に近づく。いまの日本は、すでに正社員のイスに座っている人だけが守られ、座っていない人はそこからはじき出される構造なので、まったくフェアではない。いくらがんばっても報われない人は、その原因は自分の努力不足ではなく、政府の作った「制度」である可能性がある。がんばっても報われない人がいる一方で、あまりがんばらなくても収入や立場を得ている人がいるのだ。
解雇規制がなくなると都合が悪いらしき立場の人が、「確信犯」的に緩和派を攻撃し、解雇規制を支持しているのをしばしば見かける。これはどうしようもないが、もっと素朴に「解雇が自由になったら恐ろしい」くらいの理解で、解雇規制を支持しているらしき人もしばしば見かける。こういう人には、「タダメシは絶対にない」という経済の鉄則をまず理解してもらいたい。いざというときに備える保険がタダではないことからも、これは自明だろう。リスク回避には「コスト」がかかるのだ。よって、企業に対して解雇を規制して正社員を保護しようという話も、決して「タダ」ではないのであり、その「コスト」は必ず社会のどこかにあらわれる。いまの日本で、その「コスト」がどこにあらわれているか、人を採用する会社の立場になって、いちどじっくり考えてもらいたい。解雇規制の緩和・撤廃論者というのは、決して首切りが好きなわけではなくて、いまの日本で解雇を規制していることの「コスト」がきわめて甚大であり、それが多くの問題を生みだしていると考えている人たちなのだ。
関連エントリ:
解雇規制は労働者の利益になっているのか?
http://mojix.org/2009/09/24/kaikokisei_rieki
中川秀直「非正規雇用の方を切り捨てて守ろうとしているのは、経営者の利益だけではなく、実は正規雇用の方の雇用であり賃金です」
http://mojix.org/2009/07/20/nakagawa_koyou
解雇規制、職業の「身分制度」、「与信」の関係
http://mojix.org/2009/04/04/kaikokisei_yoshin
解雇規制という「間違った正義」
http://mojix.org/2009/01/20/kaikokisei_wrong_justice
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51470391.html
<来週の週刊ダイヤモンドの特集は「解雇解禁」。といっても解雇が解禁されたわけではなく、解雇規制を解禁せよというキャンペーンだ。内容は、当ブログでも論じてきたように、中高年のノンワーキングリッチを過剰保護する解雇規制(および司法判断)が若年失業率を高め、世代間の不公平を拡大しているという話である>。
これは画期的な特集だろう。城繁幸氏もこのダイヤモンドの特集に言及し、<メディアでこの主張をすることは、既にタブーではなくなった>と書いているが、たしかにそう思う。
私もこのブログで解雇規制についてしばしば書いてきたが、書くたびにいつも反発が起きることは変わらないものの、特にこの1年くらいで理解がひろがってきたという実感がある。こういう「タブー」的なテーマは、マスコミであまり採り上げられないので、ネットが果たす役割は小さくない。
池田信夫氏や城繁幸氏は、このテーマに関しては規制緩和派(解雇規制反対派)の筆頭格とも言える代表的な論者だが、両氏とも著書や雑誌などの紙媒体で書くだけでなく、ネットでも精力的に意見発信をおこない、つねに賛否両論の反応を巻き起こしている。解雇規制のようにタブー的なテーマの場合、まずそれに注目してもらい、問題の構造に気づいてもらうことが重要なので、両氏のような論者がネットでも活躍していることの意味は大きい。こういうテーマは、学会や専門家のあいだだけで知られていてもまるで意味がなく、一般人を巻き込み、多くの人に自分で考えてもらうことに意味がある。
しかし、ネットレベルでは普通に論じられるようになってきた解雇規制というテーマも、政治家にとってはいまだにタブーである。池田氏はこう書いている。
<おまけに、どの党も選挙民の反発を恐れて、この問題に取り組もうとしない。自民党は、先の参院選で「解雇規制の緩和」を打ちだしたが、選挙戦ではまったく言及しなかった。みんなの党は、昨年の総選挙では派遣労働の規制強化を打ちだしていたが、さすがに参院選では反対に転換した。しかし彼らも、この問題には選挙戦では何もふれなかった>。
<政治家が、まったく問題を認識していないわけではない。先日、ある党の勉強会で雇用問題の話をしたら、元党首が「あなたのいうことは理屈の上ではよくわかる。私も個人的には賛成だが、選挙で解雇規制を緩和するなんていったら絶対に勝てない」といった。増税と同じで、政権基盤のよほど強い政権でないと、手はつけられないだろう>。
以前、このテーマについて中川秀直氏が率直な意見を出していたことがあった(「中川秀直「非正規雇用の方を切り捨てて守ろうとしているのは、経営者の利益だけではなく、実は正規雇用の方の雇用であり賃金です」」)。このくらいでも、政治家としては異例なほど「タブー」に踏み込んだ勇気ある発言であり、このレベルのことを政治家が言っているのを私はほとんど聞いたことがない。そもそもこの問題をわかっていない政治家ももちろん少なくないだろうが、たとえきちんと認識していても、国民に向かって「解雇されるリスクを受け入れろ」とは、恐ろしくて口にできないだろう。
しかし、政治家にとって解雇規制が「タブー」でありつづけ、この制度に手がつけられない限り、日本経済はずっと浮上できないだろう。つまり、この状況を打開するためには、ネットでこのテーマについて話題にしたり、ダイヤモンドのようなマスコミの一部でこれを採り上げて、解雇規制というテーマを「国民的議論」にしていくことが有効だろう。そうすることで、政治家にとってもこのテーマが「タブー」でなくなり、率直な議論がしやすくなる。
<硬直的な労働市場は単なる労使問題ではなく、世代間の不公平を拡大し、人的資源の効率的配分を阻害して潜在成長率を低下させている。政治家が解雇規制の問題をタブーにしている限り、どんな「成長戦略」を打ちだしても日本は成長できない。それはデフレがどうとかいう問題より100倍ぐらい重要な、日本経済の最大のボトルネックなのである>。
まったく同感だ。解雇規制がある限り、要するに企業は日本で正社員を採用できないので、企業も成長できないし、雇用も出てこない。よって政府には税収も入らず、いっぽうでバラマキを求められるので、財政赤字は拡大するばかりだ。金融緩和も、経済成長や生産性向上をもたらすわけではなく、本質的な解決にならない。いまの日本に足りないのはカネではなく、経済成長・生産性・投資機会のほうなのだ。カネはむしろ余っていて、投資先がないために、消極的に国債に向かっている。
いまの日本から経済成長・生産性・投資機会を奪っている最大の要因は、「雇用における不公平」だと思う。あまり努力しなくても収入や地位が高い人と、いくら努力しても収入も地位も上がらない人がいる。その差を生んでいるのは実力や努力ではなく「身分」であり、その「身分格差」を支えているのが要するに「解雇規制」なのである。この身分格差のバカバカしさによって、身分が上の人も身分が下の人も努力するインセンティブを喪失し、やる気や向上心を失いがちなのがいまの日本だろう。
解雇が自由になれば、みんなクビになってしまうのではと恐れる人がいる。これは経営を知らない人の考えであって、実際はむしろその反対に、採用が増えるのだ(雇用のコスト・リスクが減るので)。これで労働市場が流動化して、実力や人材価値に応じて収入や地位が配分される「フェア」な状態に近づいていく。これこそがまさに「市場」であって、がんばっていい成果を出せばそれに応じて収入や地位があがる、というマトモな状態に近づく。いまの日本は、すでに正社員のイスに座っている人だけが守られ、座っていない人はそこからはじき出される構造なので、まったくフェアではない。いくらがんばっても報われない人は、その原因は自分の努力不足ではなく、政府の作った「制度」である可能性がある。がんばっても報われない人がいる一方で、あまりがんばらなくても収入や立場を得ている人がいるのだ。
解雇規制がなくなると都合が悪いらしき立場の人が、「確信犯」的に緩和派を攻撃し、解雇規制を支持しているのをしばしば見かける。これはどうしようもないが、もっと素朴に「解雇が自由になったら恐ろしい」くらいの理解で、解雇規制を支持しているらしき人もしばしば見かける。こういう人には、「タダメシは絶対にない」という経済の鉄則をまず理解してもらいたい。いざというときに備える保険がタダではないことからも、これは自明だろう。リスク回避には「コスト」がかかるのだ。よって、企業に対して解雇を規制して正社員を保護しようという話も、決して「タダ」ではないのであり、その「コスト」は必ず社会のどこかにあらわれる。いまの日本で、その「コスト」がどこにあらわれているか、人を採用する会社の立場になって、いちどじっくり考えてもらいたい。解雇規制の緩和・撤廃論者というのは、決して首切りが好きなわけではなくて、いまの日本で解雇を規制していることの「コスト」がきわめて甚大であり、それが多くの問題を生みだしていると考えている人たちなのだ。
関連エントリ:
解雇規制は労働者の利益になっているのか?
http://mojix.org/2009/09/24/kaikokisei_rieki
中川秀直「非正規雇用の方を切り捨てて守ろうとしているのは、経営者の利益だけではなく、実は正規雇用の方の雇用であり賃金です」
http://mojix.org/2009/07/20/nakagawa_koyou
解雇規制、職業の「身分制度」、「与信」の関係
http://mojix.org/2009/04/04/kaikokisei_yoshin
解雇規制という「間違った正義」
http://mojix.org/2009/01/20/kaikokisei_wrong_justice