2010.08.26
セーフティネットは必要だが、市場を規制してもセーフティネットにはならない
WEBRONZA : SYNODOS JOURNAL - ミネラルウォーターと保育園(鈴木亘)2010年08月24日
http://webronza.asahi.com/synodos/2010082300006.html

<いま、ここに120円のペットボトルのミネラルウォーターがあります。今日もとても暑く、わたしはこのミネラルウォーターを120円で買えることに心から満足をしておりますし、他の人びともやはり満足して買ったに違いありません(そうでない人はそもそも買わないから)。
 一方、この水を売っている企業も、やはり、利潤を上げて満足しているに違いません(利潤が上がっていなければ、そもそも企業が存続していないから)。これがわれわれの生きている資本主義経済、もしくは市場経済というものであり、水の需要者(消費者)と供給者(販売企業)がともに、市場によるこの取引によって利益を上げて、効率的に社会が運営されています。
 ところが、ここで与党の政治家達が、「たかが水に120円もの高い価格をつけるとはケシカラン。低所得者にとって120円は高すぎるではないか。水は生活にとって必需品であるし、低所得者等が安心して購入できるためにも、ペットボトルの水は10円にすべきである」と主張して、ミネラルウォーターの価格を低く固定する「価格統制策」を実施したとしましょう。
 しかし、低所得者向けのミネラルウォーターの価格が10円なのに対して、中・高所得者向けの価格が120円では、あまりに差が大きく不公平です。そこで、中・高所得者向けの価格も30円と、大幅に安くしてしまいました>。

保育園問題の第一人者である鈴木亘氏が、ミネラルウォーターにたとえて問題を説明した記事。これはわかりやすい。

政府が市場に介入し、価格統制や参入規制、認可などをやりはじめると、

1) 市場が機能しなくなる
2) 政府側のコストが増え、税金が使われる

という2重のデメリットがある。この構造は、保育園だけでなく、どこにでもある。

解雇規制の話と同様、この保育園の問題も、「市場」と「セーフティネット」という役割の異なるものを混同し、市場を規制することでセーフティネットになるとカンチガイした結果、市場とセーフティネットのどちらも機能しなくなるという例だろう。

市場とセーフティネットの違いを区別できていないから、セーフティネットが必要だという理由で、市場への介入が正当化されてしまうのだ。

セーフティネットはたしかに必要だが、市場を規制してもセーフティネットにはならない。市場は自由にして、セーフティネットは市場の「外側」に置くのが正しい「社会設計」である。

いまの日本の問題は、正しい社会設計を知らない政治家が社会を設計しているために生じている。それは単に無知な場合もあるし、利権を得るために確信犯的にやっている場合もある。

いずれにせよ、国民もある程度は正しい社会設計について理解しなければ、正しい社会設計ができる政治家を選ぶことができない。

国民と政治家の関係は、施主と建築家の関係に似ている。正しい設計ができない政治家も悪いが、そんな政治家に頼んだ国民も悪いのだ。


関連エントリ:
経営者の「クビ切り」をするのは「市場」である
http://mojix.org/2010/08/24/kubikiri-market
リチャード・カッツ「反成長的な慣行を社会的なセーフティネットと所得配分政策に置き換えよ」
http://mojix.org/2010/01/13/hanseichou_safetynet
日本をダメにしたのは誰か
http://mojix.org/2009/05/15/nihon_dame