2010.12.25
今年もっとも聴いた音楽 モーツァルトの交響曲第41番『ジュピター』
今年の私の音楽生活は、ひたすらクラシックばかり買い、クラシックばかり聴いていた1年だった。

一昨年の2008年頃からクラシックに目覚め、昨年の2009年は音楽聴取の半分以上がクラシックになった年だった。そして今年2010年は、音楽聴取の9割以上がクラシックになり、CDもおそらく数百枚くらい買った。

それでもまだ、知識レベルではクラシック入門者という気がしている。クラシックの世界は、それくらい途方もなく広くて深く、それゆえに面白い。

そんな私が今年もっとも聴いた音楽は、モーツァルトの交響曲第41番『ジュピター』だった。

ウィキペディア - 交響曲第41番 (モーツァルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4..

<交響曲第41番(こうきょうきょくだい41ばん)ハ長調 K.551 は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲した交響曲。『ジュピター』(ドイツ語ではユーピター)のニックネームを持つ。モーツァルトが作った最後の交響曲である>。

<1788年8月10日に完成された。同年に作曲された交響曲第39番(6月26日)、交響曲第40番(7月25日)とともに「3大交響曲」と呼ばれる。3曲とも作曲の目的や初演の日時は不明であるが、モーツァルトの生存中には演奏されていたと見られる>。

<モーツァルトを崇敬していたリヒャルト・シュトラウスは、若い頃「ジュピター交響曲は私が聴いた音楽の中で最も偉大なものである。終曲のフーガを聞いたとき、私は天にいるかの思いがした」と賛辞している>。

以前の私は、モーツァルトの良さがまったくわからなかった。クラシック作曲家としてはおそらくいちばん人気があるのに、その良さがわからないのだから、むしろ軽い反感すら抱いていた。単純で、ノーテンキに明るいだけの、底の浅い音楽という印象を持っていた。

それが昨年末に、いわば天啓のような感じでオペラが「わかった」気がして、それがきっかけで今年の正月、モーツァルトの『魔笛』にハマった。これでモーツァルトの良さがいっぺんにわかり、モーツァルトはどれを聴いても「いい」と思えるようになった。

そうしてモーツァルトをあれこれ聴きまくったのが今年2010年で、なかでもいちばんよく聴いたのが、モーツァルトの最後の交響曲である上記の『ジュピター』だった。

モーツァルトの後期交響曲にはよく知られた秀作が多いが、特にこの『ジュピター』は最後の交響曲というのもあるのか、何か特別なものを感じさせる。リヒャルト・シュトラウスが「ジュピター交響曲は私が聴いた音楽の中で最も偉大なものである」と言ったのもわかる気がする。

私が入手した範囲で特に気に入った演奏は、カール・ベーム&ウィーン・フィル、ブルーノ・ワルター&コロンビア交響楽団のものなど。いずれも有名で、オーソドックスなものだ。カール・ベーム&ウィーン・フィルの演奏は、YouTubeでも聴ける(実際に演奏している映像つき)。



YouTube - Mozart Sinfonía nº 41 "Jupiter" - VPO Bohm (1 de 4)
http://www.youtube.com/watch?v=noAPeUlOjfc
YouTube - Mozart Sinfonía nº 41 "Jupiter" - VPO Bohm (4 de 4)
http://www.youtube.com/watch?v=yRUlzJn8UeU

『ジュピター』の4つの楽章のうち、私が特に好きなのがこの第1楽章と第4楽章だ。どちらの楽章も明るく軽快で、おそらく18世紀クラシック音楽のひとつの極点とも言うべき、高い完成度を誇っている。冒頭からスキのないモダンな展開がつづき、いま聴いてもまったく古い感じがしない。しかし、その明るさと完成度のなかに、どこか悲しみや切なさを感じさせるのがモーツァルトである。

特にこのカール・ベーム&ウィーン・フィルの演奏は、ストレートな誠実さがすごく良くて、何度聴いてもまったく飽きない。この演奏シーンの映像を見ても、誠実な音の印象そのままという感じで、静かな情熱が伝わってくるようだ。最後に演奏を終えたカール・ベームが、うなずきながら少し微笑むところがすごくいい。

モーツァルトがすっかり大好きになったいまの私から見ると、モーツァルトの良さがわからなかった、かつての私が持っていた「単純で、ノーテンキに明るいだけの、底の浅い音楽」という印象は、まったく間違っているわけではないことがわかる。「単純で、ノーテンキに明るい」というのは、モーツァルトが好きな人にとっては長所であり、モーツァルト自身もその作風を自覚的に確立したはずだ。よって、それが「底の浅い音楽」と感じるかどうかは主観的な問題だろう。

いまの私からすれば、単純さや明るさを自覚的に追求したからといって「底が浅い」ことにはならず、それはスタイルの問題であって、音楽としての質や完成度とは異なる。かつての私が好きだったハウスやテクノ、2ステップなども、大部分がワンパターンで、形式が単純な音楽だった。アートなどでもそうだが、形式が単純なのは、必ずしも底が浅いからではなく、むしろ形式や手法に自覚的であるゆえにそうなっている、ということが少なくない。

そのように考えれば、モーツァルトは私が好きになりそうな要素がたくさんある音楽であり、むしろなぜいままで好きになれなかったのか、不思議なくらいだ。アーロンチェアもそうだったが、私は大流行しているものに反発する「逆張り」の傾向があり、それでいいものを見逃してしまうことがよくある。モーツァルトの発見が遅れたのも、モーツァルトの人気に反発していたから、というのもありそうだ。

モーツァルトが好きになったおかげで、今年はモーツァルトが影響を受けたJ.C.バッハ(大バッハの末っ子、「ロンドンのバッハ」)も知り、J.C.バッハもいろいろ聴いて、大好きになった。さらに、J.C.バッハはヘンデルに影響を受けたことを知り、ヘンデルはこれまで『水上の音楽』くらいしか知らなかったが、「ハレルヤ」のコーラスで有名な『メサイア』をはじめ、ヘンデルのオラトリオ、オペラもいろいろ聴いた。そんな感じで、今年はモーツァルトに導かれて、18世紀音楽の魅力に開眼させられた1年だった。


関連エントリ:
カッコいいオペラの序曲
http://mojix.org/2009/12/28/opera_overtures
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン
http://mojix.org/2008/07/16/bach_mozart_beethoven
楽譜は設計、演奏は実装
http://mojix.org/2008/04/02/score-and-performance