2010.03.08
日本の問題は、「人の流動性」が低すぎてノウハウが循環しないことにある
内閣府参与を辞職した湯浅誠氏が、辞職の経緯説明と意見表明のコメントを発表している。

特定非営利活動法人 自立生活サポートセンター もやい - 内閣府参与辞職にともなう経緯説明と意見表明、今後(2010-3-5 18:35:03)
http://www.moyai.net/modules/news/article.php?storyid=244

<そして私は、そうした両者の溝を少しでも埋めるために、官民の間をもっと頻繁に行き来する人たちが増えるべきではないかと感じています。いわゆる「新しい公共」という概念では、公共を担うのは官だけではない、とされています。しかし現実問題として、民からは官がどう政策決定をしているのかさっぱり見えない、官は民を政策決定プロセスから排除するという中で、「ともに担う」ことなどできない。もっと、政策決定プロセスを知っている民間人、現場を知っている官僚が増えるべきではないでしょうか>。

これは完全に賛成。「官民の間をもっと頻繁に行き来する人たちが増えるべき」「政策決定プロセスを知っている民間人、現場を知っている官僚が増えるべき」、まったくその通りだ。この政府と民間のあいだでの人材の行き来は、アメリカでは「回転ドア」と呼ばれており、とても重視されている。

けっきょく、ノウハウは人間が持っている。だから、人間が行き来しなければ、ノウハウは行き来しないのだ。

この「人の流動性」が少ないということが、日本のさまざまな問題を生んでいる。では、この「人の流動性」を阻害しているものは何なのか。それが皮肉なことに「解雇規制」なのである。

「人の流動性」を阻害している「解雇規制」の弊害については、経済学者や専門家をはじめ、すでに多くの論者がそれを指摘している。しかしこれは、特に学者や専門家でなくても、自分で会社を経営していたり、人を採用する立場にある人であれば、誰でもわかるくらい自明のことなのだ。日本では、いったん正社員を採用したら、会社側から解雇することはほぼできない。これでは、よほど余裕のある企業か、解雇規制を無視する企業以外、正社員を採用できるはずがないのだ。

雇用を生み出すのは企業である。政府がほんとうに雇用問題を解決する気があるのなら、「なぜもっと正社員を雇用しないのか」と企業に訊いてみればいい。それをせずに、解雇規制で企業を縛りつづけ、マスコミも「派遣切り」を企業のせいにして叩きつづけているから、雇用がますます出てこなくなるのだ。経営者は立場的に「解雇規制をなくせ」とは公言しにくいので、経営者自身からのそういう意見はあまり目立たないが、本音では多くの経営者がそう思っているはずだ。

政府がほんとうに雇用を増やしたいと思っているのなら、企業に雇用補助金などを出すよりも、解雇規制をなくしたほうがはるかにいい。解雇規制をなくせば、おそらく「爆発的」といっていいくらい雇用が増えるだろう。とてもそうは思えないという人は、おそらく経営をやったことがない人だと思う。雇用を生み出すのは企業なのだから、規制が雇用に与える影響を正しく理解するには、規制に対して経営者がどう思っているのか、どう動いているのかを正しく把握する必要がある。

「派遣切り」を企業のせいにして叩いている人は、いまの日本で起業し、1人もクビにしないまま会社を無限に成長させつづけることができるのか、やってみたらいい。企業に対して「クビを禁止する」ということは、「無限に成長しつづけろ」と言っているのとほとんど同じなのであって、これはマルチ商法やねずみ講と同じくらい荒唐無稽な話なのだ。ちなみに年金も、この「無限に成長しつづける」ことが前提になってしまっている制度だろう。

経営者も神様ではないので、デタラメな経営者も確かに存在する。しかし私の印象では、経営者を叩いている9割以上の意見は、間違っている。経営者が悪いのではなく、日本の「制度」が間違っているのだ。

日本の経営者はむしろ、その間違った制度のなかで、相当がんばっていると思う。日本の規制の強さ、税金の高さは世界でも1、2を争うレベルであり、いわば日本企業だけ鉄ゲタを履かされ、重い荷物を背負って走らされているようなものだ。それでも世界的な日本企業がたくさんあるのだから、もしこのハンディがなければ、日本企業は世界に圧勝してもおかしくないくらいだと思う。日本企業と日本の労働者は、潜在的な実力ではおそらく世界トップレベルなのに、政治や制度がまずいために、かなり足を引っぱられている。

日本人は一般に、制度や法は絶対に「善」であり、それを守れない人は「悪」だと思い込みがちなところがあると思う。制度や法に対して「批判的思考(クリティカルシンキング)」ができず、それが「間違っているかもしれない」とは考えられないわけだ(郷原信郎氏の言う「法令遵守」)。だから、間違った制度や法がズルズル生き延びてしまう。既得権益を持つ一部の人間だけがその恩恵を受け、そのコストや規制のツケを国民全員が払わされつづける。

「規制はコストである」ということをわかっていない人が多い。それがタダだと思っているのだ。税金のムダ使いがコストであることは明らかだが、規制もコストであることを理解するには、経済学で「機会費用」と呼んでいるものを理解する必要がある。

しかし、これは子供でもわかる話なのだ。例えば、あなたの両手と両足を縛り、動けないようにする。これにはコストがかからない。しかし、両手と両足を縛り、動けないようにすれば、ほとんど何もできなくなる。行動の自由が奪われるわけだ。つまり、両手と両足を縛ることで、そうしなければできたはずのことが、たくさんできなくなる。この「自由の減少分」が「機会費用」だ。お金が出て行くことだけがコストではなく、行動を制約されて、自由が減ることも「費用(コスト)」なのだ。

企業にクビを許さない解雇規制が、どのくらい膨大な「機会費用」を生み出しているかは、もし解雇規制がなければ企業がどのようにふるまい、それによって社会がどのように変わるかで決まる。解雇規制がなければ、企業は生産性の低い社員をクビにして、そのかわりにやる気のありそうな人間を採用しはじめる。それも、これまで以上にたくさん採用するのだ。いつでも解雇できるなら、採用に失敗した場合のリスクがほとんどなくなる。「失敗してもいい」なら、もっと気軽に採用できるようになり、いろいろなタイプの人材を「試す」ことができるようになるのだ。

私のような解雇規制反対論者は、解雇規制をなくしたほうが社会がうまく回ると考えており、いまの日本の多くの問題が、解雇規制によって「人の流動性」が低く抑えられていることに発していると考えている。昨日書いた新卒の問題もそうだし、湯浅氏のいう「官民の間をもっと頻繁に行き来する人たちが増えるべき」「政策決定プロセスを知っている民間人、現場を知っている官僚が増えるべき」という問題も、この「人の流動性」が少ないことに発している。これは政治家の供給が不足している原因でもあり、日本政治のレベルが低いのも、この人材不足が一因なのだ。

「金融は経済の血液」と言われる。血液もカネも「流動性」であり、それは人体というシステム、経済というシステムを生かすのに不可欠なものだ。その流動性が失われれば、システムは止まってしまう。よって、流動性は「システムの生命」そのものといってもいいくらい重要なものだ。

日本の問題は、「人の流動性」が低すぎて、ノウハウが循環しないことにある。ノウハウが循環しなければ、システムは変化に対応できない。インターネット以降、人類史のスケールで見ても大きな文明的変革が起きているこの時代に、ノウハウが循環しないシステム、世界の変化に対応できないシステムというのは、まさに致命的だ。

これは、システムを構成する人間の「努力」が不足しているという問題ではない。システムが規制でがんじがらめになっており、人材やノウハウが流動しないという「制度」の問題なのだ。


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