「欧米コンプレックス」と「ぬるま湯」の日本から、21世紀の「国風文化」へ
ニューズウィーク日本版 : TOKYO EYE - 日本の良さが若者をダメにする(2010年04月05日(月)12時25分)
http://newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2010/04/post-158.php
少し前に出ていた、仏フィガロ紙記者レジス・アルノーのすばらしいコラム。以前に「「主観恐怖症」の日本」で紹介した「政権交代でも思考停止の日本メディア」にも勝るとも劣らぬ、見事な内容だ。
<フランスは「joie de vivre(人生を楽しむ)」国だ。国際的で、若々しくて、開放的。世界1の美女に世界1のファッションブランド、世界1の景色とワインがそろっている>。
<一方で、日本は「未来が約束された国」の座から転げ落ちてしまった。高齢化と景気低迷がものすごいスピードで進み、世界での存在感はすっかり失われている>。
<日本にとって、世界はどうでもいいらしい。政治もメディアも自己中心的で、NHKの7時のニュースは国内ニュースばかり。「グローバル企業」にしても、組織の体質は正反対だ。英語を積極的に活用するような機運もほとんどない(TOEFLのスコアでみると、日本人のスピーキング力は鎖国同然の北朝鮮にも及ばない)>。
<だが、こうしたマイナス面があるにも関わらず、18歳になるまで日本で暮らしたフランス人の多く(いや、ほとんどかもしれない)が選ぶのは、フランスよりも日本だ。なぜか。彼らは日本社会の柔和さや格差の小ささ、日常生活の質の高さを知っているからだ>。
私は海外旅行にたかだか数回行ったくらいの海外経験しかないが、それでも、この日本の「日常生活の質の高さ」がいかに高いかを知って、衝撃を受けた。日本では、すべてがこぎれいで、安全で、ちゃんとしていて、細部にいたるまで配慮が行き渡っていて、みんな人あたりがよく、どの店へ入っても接客がていねいだ。こんな国はおそらく世界のどこにもなく、日本だけなのだろう、ということが理解できた。
いっぽうで、その「日常生活の質の高さ」に費やされている「コスト」や、その「均質さ」のために失われている精神の自由さや多様性、ダイナミズムについても、だんだん理解できるようになってきた。その最たるものが、いわゆる「空気」だろう。個人が自分自身の思考や判断を封じ込めて、集団との一体化を優先し、衝突をあらかじめ回避し、目立たないようにする。日本にはさまざまな「強み」があるが、それはしばしば、この「弱み」と表裏一体になっている。
このレジス・アルノーのコラムを読むと、その日本の「強み」と「弱み」は切り離せないものだ、ということをあらためて感じる。
<それでも人々は外国に対し、現実とは異なるイメージを抱いているもの。日本人はフランスについて、見当違いな憧れを抱いている>。
<先日、パリ出身のかわいい女友達シルビーとコーヒーを飲んでいた時のこと。シルビーが、「パリジェンヌ気分を味わおう」というファッションビルの巨大広告を見て笑い始めた>。
<「パリ気分を味わいたいって? そんなの簡単よ。教えてあげる。身ぎれいにするのをやめればいい。ホントのこと言うと、日本人の女の子の隣にいると自分が汚く思えてくる。彼女たちって何度も何度も化粧を直すし、髪型だって最高。どんなパリジェンヌよりも女らしい。私のフランス人の彼氏は、日本人の女の子たちに追い掛け回されてる。私はパリ気分よりも、ジャポネーゼの気分を味わいたいわ!」>
これは面白いエピソードだ。日本は明治維新いらい、ずっとこういう「欧米コンプレックス」を持ちながら走り続けてきた。
それがいつのまにか、「本場」を追い越してしまい、パリジェンヌが「私はパリ気分よりも、ジャポネーゼの気分を味わいたいわ!」と言うようになっていたのだ。私の見聞きする限り、ファッションだけでなく、食でも、デザインでも、建築でも、映画でも、日本は少なくとも「欧米」に劣らないレベルに達していることは間違いないと思う。それでもまだ、長年の「欧米コンプレックス」から抜け出すのは容易でないため、「パリジェンヌ気分を味わおう」のような切り口がまだ有効なのだろう。
<日本の若者は自分の国の良さをちゃんと理解していない。日本の本当の素晴らしさとは、自動車やロボットではなく日常生活にひそむ英知だ>。
<だが日本と外国の両方で暮らしたことがなければ、このことに気付かない。ある意味で日本の生活は、素晴らし過ぎるのかもしれない。日本の若者も、日本で暮らすフランス人の若者も、どこかの国の王様のような快適な生活に慣れ切っている>。
まったく同感だ。日本の素晴らしさとは「自動車やロボットではなく日常生活にひそむ英知」であり、日本での生活というのは、いわば「王様のような快適な生活」なのだ。「何いってんだ、オレは毎日苦しいよ」という人もいるだろうが、世界的に見れば日本はかなり格差が少なく、「下流」と言われるような層でも、他の国に比べれば「王様のような快適な生活」だとも言える。
私は「けしからん」という精神論が大嫌いで、「最近の若者はけしからん」と言うような年長者には賛同できない。しかし現実問題として、戦後の何もなかった貧しい時代や、安保や学生運動の熱い時代などに比べれば、いまは恵まれすぎていることも確かだろう。いまの日本は良くも悪くも「ぬるま湯」なので、ハングリー精神を保持しにくいのだ。「日本の良さが若者をダメにする」という今回のレジス・アルノーのコラムのタイトルは、まさにこのことを指しているのだと思う。日本はこれだけ経済がひどくなっても、大金持ちのお坊ちゃんが総理大臣になり、「友愛」や「いのち」などと呑気なことを言っているのだから、まだ余裕があるのだろう。
かといって、また戦争をやって焼け野原になったり、学生運動をやって火炎瓶を投げたりすればいい、とは思わない。いまの日本は、明治維新いらいの「欧米コンプレックス」を克服し、どこのマネでもない、21世紀の「国風文化」を作っていけるかどうか、という段階にさしかかっていると思う。グローバルな視野を持ちながら、世界をリードするような「新しい日本」を作っていけるかどうか。マネではなく、日本の個性・オリジナリティを発揮してこそ、真に「グローバル」な存在になれるのだと思う。
いまは日本にとっておそらく過渡期であり、次のレベルに行けるかどうか、もがいているところだろう。このレジス・アルノーのコラムには、「強み」と「弱み」が表裏一体になっているいまの「日本」というものが、よく捉えられていると思う。こういう「ガイジンの目」を借りて、日本の「強み」と「弱み」は何なのかを、まず正しく認識することが必要だろう。
関連エントリ:
日本で7年間働いた中国人が日本で学んだこと
http://mojix.org/2010/03/13/nihon_de_mananda
「主観恐怖症」の日本
http://mojix.org/2009/10/11/shukan_kyoufu
日本のカフェ・カルチャーは新しい「国風文化」
http://mojix.org/2006/02/15/210951
欧米コンプレックスの消滅
http://mojix.org/2006/02/14/221255
http://newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2010/04/post-158.php
少し前に出ていた、仏フィガロ紙記者レジス・アルノーのすばらしいコラム。以前に「「主観恐怖症」の日本」で紹介した「政権交代でも思考停止の日本メディア」にも勝るとも劣らぬ、見事な内容だ。
<フランスは「joie de vivre(人生を楽しむ)」国だ。国際的で、若々しくて、開放的。世界1の美女に世界1のファッションブランド、世界1の景色とワインがそろっている>。
<一方で、日本は「未来が約束された国」の座から転げ落ちてしまった。高齢化と景気低迷がものすごいスピードで進み、世界での存在感はすっかり失われている>。
<日本にとって、世界はどうでもいいらしい。政治もメディアも自己中心的で、NHKの7時のニュースは国内ニュースばかり。「グローバル企業」にしても、組織の体質は正反対だ。英語を積極的に活用するような機運もほとんどない(TOEFLのスコアでみると、日本人のスピーキング力は鎖国同然の北朝鮮にも及ばない)>。
<だが、こうしたマイナス面があるにも関わらず、18歳になるまで日本で暮らしたフランス人の多く(いや、ほとんどかもしれない)が選ぶのは、フランスよりも日本だ。なぜか。彼らは日本社会の柔和さや格差の小ささ、日常生活の質の高さを知っているからだ>。
私は海外旅行にたかだか数回行ったくらいの海外経験しかないが、それでも、この日本の「日常生活の質の高さ」がいかに高いかを知って、衝撃を受けた。日本では、すべてがこぎれいで、安全で、ちゃんとしていて、細部にいたるまで配慮が行き渡っていて、みんな人あたりがよく、どの店へ入っても接客がていねいだ。こんな国はおそらく世界のどこにもなく、日本だけなのだろう、ということが理解できた。
いっぽうで、その「日常生活の質の高さ」に費やされている「コスト」や、その「均質さ」のために失われている精神の自由さや多様性、ダイナミズムについても、だんだん理解できるようになってきた。その最たるものが、いわゆる「空気」だろう。個人が自分自身の思考や判断を封じ込めて、集団との一体化を優先し、衝突をあらかじめ回避し、目立たないようにする。日本にはさまざまな「強み」があるが、それはしばしば、この「弱み」と表裏一体になっている。
このレジス・アルノーのコラムを読むと、その日本の「強み」と「弱み」は切り離せないものだ、ということをあらためて感じる。
<それでも人々は外国に対し、現実とは異なるイメージを抱いているもの。日本人はフランスについて、見当違いな憧れを抱いている>。
<先日、パリ出身のかわいい女友達シルビーとコーヒーを飲んでいた時のこと。シルビーが、「パリジェンヌ気分を味わおう」というファッションビルの巨大広告を見て笑い始めた>。
<「パリ気分を味わいたいって? そんなの簡単よ。教えてあげる。身ぎれいにするのをやめればいい。ホントのこと言うと、日本人の女の子の隣にいると自分が汚く思えてくる。彼女たちって何度も何度も化粧を直すし、髪型だって最高。どんなパリジェンヌよりも女らしい。私のフランス人の彼氏は、日本人の女の子たちに追い掛け回されてる。私はパリ気分よりも、ジャポネーゼの気分を味わいたいわ!」>
これは面白いエピソードだ。日本は明治維新いらい、ずっとこういう「欧米コンプレックス」を持ちながら走り続けてきた。
それがいつのまにか、「本場」を追い越してしまい、パリジェンヌが「私はパリ気分よりも、ジャポネーゼの気分を味わいたいわ!」と言うようになっていたのだ。私の見聞きする限り、ファッションだけでなく、食でも、デザインでも、建築でも、映画でも、日本は少なくとも「欧米」に劣らないレベルに達していることは間違いないと思う。それでもまだ、長年の「欧米コンプレックス」から抜け出すのは容易でないため、「パリジェンヌ気分を味わおう」のような切り口がまだ有効なのだろう。
<日本の若者は自分の国の良さをちゃんと理解していない。日本の本当の素晴らしさとは、自動車やロボットではなく日常生活にひそむ英知だ>。
<だが日本と外国の両方で暮らしたことがなければ、このことに気付かない。ある意味で日本の生活は、素晴らし過ぎるのかもしれない。日本の若者も、日本で暮らすフランス人の若者も、どこかの国の王様のような快適な生活に慣れ切っている>。
まったく同感だ。日本の素晴らしさとは「自動車やロボットではなく日常生活にひそむ英知」であり、日本での生活というのは、いわば「王様のような快適な生活」なのだ。「何いってんだ、オレは毎日苦しいよ」という人もいるだろうが、世界的に見れば日本はかなり格差が少なく、「下流」と言われるような層でも、他の国に比べれば「王様のような快適な生活」だとも言える。
私は「けしからん」という精神論が大嫌いで、「最近の若者はけしからん」と言うような年長者には賛同できない。しかし現実問題として、戦後の何もなかった貧しい時代や、安保や学生運動の熱い時代などに比べれば、いまは恵まれすぎていることも確かだろう。いまの日本は良くも悪くも「ぬるま湯」なので、ハングリー精神を保持しにくいのだ。「日本の良さが若者をダメにする」という今回のレジス・アルノーのコラムのタイトルは、まさにこのことを指しているのだと思う。日本はこれだけ経済がひどくなっても、大金持ちのお坊ちゃんが総理大臣になり、「友愛」や「いのち」などと呑気なことを言っているのだから、まだ余裕があるのだろう。
かといって、また戦争をやって焼け野原になったり、学生運動をやって火炎瓶を投げたりすればいい、とは思わない。いまの日本は、明治維新いらいの「欧米コンプレックス」を克服し、どこのマネでもない、21世紀の「国風文化」を作っていけるかどうか、という段階にさしかかっていると思う。グローバルな視野を持ちながら、世界をリードするような「新しい日本」を作っていけるかどうか。マネではなく、日本の個性・オリジナリティを発揮してこそ、真に「グローバル」な存在になれるのだと思う。
いまは日本にとっておそらく過渡期であり、次のレベルに行けるかどうか、もがいているところだろう。このレジス・アルノーのコラムには、「強み」と「弱み」が表裏一体になっているいまの「日本」というものが、よく捉えられていると思う。こういう「ガイジンの目」を借りて、日本の「強み」と「弱み」は何なのかを、まず正しく認識することが必要だろう。
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http://mojix.org/2006/02/14/221255