2012.11.24
右翼でも左翼でもない
今回の総選挙は、自民・民主・維新の三つどもえになり、民主が負ける、という予想をよく見かける。先日、太陽の党を吸収合併した日本維新の会に失望した旨を書いたが、これで維新は明確に「右寄り」になった。安倍氏率いる自民党も右寄りなので、これで自民と維新が勝ち、もし選挙後に手を組めば、日本全体が一気に右傾化する可能性もある。

3年前の鳩山政権がかなり左傾化していたが、その反動で一気に逆に振れるような感じで、振れ幅が大きすぎると思う。民主党政権への失望が大きいのだから、仕方がないところもあるが、それにしても極端すぎないか。

これまでもたびたび書いてきたように、私がもっとも共感する政治的立場はリバタリアニズムで、これは「右翼でも左翼でもない」。リバタリアニズムのポジションは、以前「右翼(国家主義)と左翼(社会主義)は反対概念ではなく、独立概念である」で出した図を見てもらうとわかりやすい。



リバタリアニズムは、経済的自由と精神的自由の両面で、個人の自由を最大化しようとする立場である。これに対して、全体主義・ファシズムというのは、個人から経済的自由と精神的自由の両方を奪い、個人を国家の体制に奉仕させるものだ。

日本では、左右ともに「大きな政府」支持者が多く、リバタリアニズムの立場である「小さな政府」支持者が少ない。日本は「みんないっしょ」体質が強く、自分が孤立したり、少数派になることを極端に恐れる人が多い。「空気」を読んで、自分の意見をかんたんに曲げてしまうのだ。こういう精神風土は、全体主義・ファシズムに対して脆弱である。個人の自由を維持するには、個人が自分で考え、自分の意見を主張する勇気が必要だ。「空気」を読んで自分の意見を言えない人ばかりの国では、個人の自由は維持できない。

戦後の日本は、私から見ても、これまで左に傾いていたと思う(関連:「内田樹「座標軸をなくした日本社会には、一本筋の通った左翼の存在が必要」」)。その点では、私は右寄りの人にあるていど共感するところはある。

しかし、戦後の日本がずっと左に傾いていたからこそ、日本人は右傾化の危険に鈍感になっているように思う。戦時の思想統制・言論統制を絶対に忘れてはいけない。戦後の日本がずっと左寄りだったからこそ、いまは言論の自由があたりまえになっている。これによって、言論の自由がなくなることもありえる、ということが想像しにくくなっているのではないか。いまのところは心配ないと思うが、状況が変わってしまってからでは遅いので、大げさだと思われるだろうが、いまのうちに書いておきたい。災害対策と同じで、ふだんから心がけをしておかないと、起きてからでは遅いのだ。

日本が左に傾けば、私は右寄りのスタンスを取る。日本が右に傾けば、私は左寄りのスタンスを取る。この「右翼でも左翼でもない」立場は、ノンポリなのではなく、意識的な立場だ。単なるノンポリや無関心では、あっけなく状況に流されてしまうだろう。


関連エントリ:
世界を上下に分けて下に味方するのが左翼、世界をウチとソトに分けてウチに味方するのが右翼
http://mojix.org/2010/10/15/matsuo-uyosayo
右翼(国家主義)と左翼(社会主義)は反対概念ではなく、独立概念である
http://mojix.org/2010/10/14/left-and-right
ノーラン・チャート
http://mojix.org/2008/04/20/nolan_chart