2009.10.04
「弱者をダシに使って、自分がカネや権力を得る」というビジネスモデル
城繁幸氏が、森永卓郎氏をコテンパンに批判している。

Joe's Labo - 森永卓郎という日本の癌
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/a2ff26e6e8eccf5cd7160275f82aeea7

日経BPのモリタクコラムは、読むと頭に血が上るので読まないことにしているが、コメントにいくつも貼られていたのでつい読んでしまった>。

<まず、フレクシキュリティの完全否定には驚いた。今時、こういうスタンスの論者は他にいないのではないか。既存左派だって条件付ながら、流動化に理解を示している人の方が多いのだ。内容についても非常にバイアスがかかっている、というより明らかな間違いがほとんどだ>。

ここで批判されているのは、次の記事である。

SAFETY JAPAN : 森永卓郎 厳しい時代に「生き残る」には - 財界が仕掛ける「フレクシキュリティ」という新しい罠(2009年9月29日)
http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20090929/184436/

<財界が仕掛ける「フレクシキュリティ」という新しい罠>というタイトルからも明らかなように、財界をワルモノ扱いして、フレキシキュリティ(注)を「罠」と書き、自分はそのワルモノから弱者を守る「正義の味方」だ、と言わんばかりの内容である。<わが国の経済学者と呼ばれる人の多くや財界寄りのシンクタンクが、ここ数カ月なんとかしてフレクシキュリティを日本にも持ち込もうとして、ばかばかしい議論を重ねてきた>といった記述もあり、フレキシキュリティ支持者や流動化論者は全員、財界というワルモノの手先であるといった調子で、まるで陰謀論である。

注)森永氏は「フレクシキュリティ」の表記を使っているが、当ブログでは「フレキシキュリティ」と表記しているので、森永氏の記事からの引用を除いて、ここでは「フレキシキュリティ」と表記する。用語の意味などはウィキペディアの解説を参照。

こういう論調は、解雇規制の議論ではよく出てくる。解雇規制の緩和・撤廃によって、雇用の流動性を高めよという「流動化論」に対しては、必ずといっていいほど、解雇規制の賛成派・維持派から「おまえは財界の手先だ」「それは経営者にとって都合がいいだけだ」といった反応が返ってくる。この森永氏の記事は、こうした解雇規制賛成派・維持派のスタンスを代弁するものだ。

森永氏の記事に、こういう部分がある。

<どんどん解雇していい国と、解雇していけない国とを比較して、景気が下がったときに、どちらが失業率が増えるのか、誰が考えても自明である。いくら職業訓練をしても、景気が失速しているときは再就職先などないのだ>。

こういう記述を読んで、「たしかにその通りだ」と思ってしまう人もいるだろう。しかし経済にいくらか意識的だったり、経営をわかっている人であれば、この記述はおかしいということがわかる。城氏もここに突っ込んでいて、次のように書いている。

<原資の額は法では増やせない以上、解雇を禁じても、新規採用抑制か海外移転を引き起こすだけであり、国内で支払われる人件費の額は変わらない。いや、むしろ高給取りの賃下げも出来ない日本では、新人や非正規といった低賃金層が切られることによって、失業率は高まっている可能性がある>。

まったくその通りであり、「景気が下がったときには、失業が増える」のはむしろあたり前なのだ。景気が下がったとき、失業というコストを引き受けるのが<新人や非正規といった低賃金層>に固定されていたり、雇用が海外流出してしまうことが日本の問題なのであり、それを引き起こしているのが解雇規制という「正社員保護」なのだ。

失業者対策という行政の仕事を、解雇規制という国の規制によって会社に押しつけているのが問題の根本原因であり、そこから生じる正規・非正規の「身分制度」や、「派遣切り」といった雇用調整まで、すべて企業が悪いかのように言われているのが日本の状況である。

城氏が森永氏をコテンパンに批判しているのは、森永氏は素人ではなく、こうしたロジックを完全に承知の上で、「弱者を救う正義の味方」を演じているからだ。解雇規制は労働者を「保護」する、と素朴に信じている素人が、ただネットで自論を書くのとは違い、森永氏はマスメディアで「弱者を救う正義の味方」を演じることで、大金を稼いでいる。それもただの芸能人やタレントではなく「経済アナリスト」という肩書きなので、普通の人は「専門家」と受け取るから、内容を吟味する力がない人は信じてしまう。森永氏のように露出の多い「専門家」が、「すべて企業が悪い」という「経営者ワルモノ論」をひろめてしまうのは、影響が大きい。

特定のグループを「ワルモノ」と決めつけて、自分はその「ワルモノ」と戦って「弱者」を救う「正義の味方」である、という論調には注意が必要だ。最近だと、亀井金融相のモラトリアム案が、まさにこれだろう。資金繰りに苦しんでいる中小企業という現状に対して、「カネを貸さない銀行が悪いのだ」という大見得を切る。銀行を「ワルモノ」扱いして、その「ワルモノ」を懲らしめて、「弱者」から喝采を浴びる、という「勧善懲悪」の図式だ。ここではもはや、問題を引き起こしている真の原因は何かとか、それによって経済がどういう影響を受けるかといった「正論」は問題ではなく、多数を味方につけられるかどうかという「心理戦」がすべてである。

「弱者を救う正義の味方」には、気をつけたほうがいい。すべてがそうだというわけではないが、「弱者をダシに使って、自分がカネや権力を得る」という「ビジネスモデル」が存在するからだ。さらに、本人にはまったく悪気がなく、完全に「善意」からの行動だったとしても、他者に強制したり大きな影響力を及ぼしうる立場であれば、その内容が間違っていた場合、社会に大きなダメージを与えうる(「地獄への道は善意で敷き詰められている」)。

経済が不調で、生活が苦しくなってくると、安易な「ワルモノ論」がはびこりやすい。最近だと、「政治家の世襲」「官僚の天下り」といったものへの反発が、この安易な「ワルモノ論」に陥っていると感じる。それが望ましくないものだとしても、ただそれを禁止すれば問題が解決するわけではなく、何がそれを生んでいるのかという「構造」を理解して、「制度設計」自体を変える必要がある。「政治家の世襲」「官僚の天下り」はいずれも、政治家や官僚の「雇用問題」という側面があり、解雇規制による雇用流動性の低さもこれと無関係ではない。

「解雇規制」や「製造業派遣禁止」といった規制自体も、一種の「ワルモノ論」である。解雇されるのはかわいそうな「弱者」で、解雇する企業は「ワルモノ」だから、解雇できないように禁止しよう、製造業派遣はキツイ仕事だから、製造業派遣は禁止しよう、といった調子であって、なぜそれが起きるのか、禁止によって経済がどう動くのか、企業や政府の役割は何か、といったことが考えられていない。

政府の規制強化は、独裁政権でもない限り、まず「世論の後押し」という前段階があることが少なくない。いわば「世論が規制をつくる」のだ。その意味では、政府自身が「弱者を救う正義の味方」を演じているという側面もある。政府という存在自体、「弱者をダシに使って、自分がカネや権力を得る」という「ビジネスモデル」で成立している部分があるのだ。「世論」の形成にはマスコミが大きな役割を果たすので、政府がマスコミをコントロールできれば、この「ビジネスモデル」は最強だろう。そのマスコミを批判的に見れるネットという足場をわたしたちが得たことは、その意味で大きな前進なのだ。


関連:
ウィキペディア - フレキシキュリティ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95..
ウィキペディア - 正規社員の解雇規制緩和論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3..

関連エントリ:
解雇規制は労働者の利益になっているのか?
http://mojix.org/2009/09/24/kaikokisei_rieki
官僚を「公営シンクタンク」として使う、日本の安上がりな政治システム
http://mojix.org/2009/09/03/japan_thinktank
「分断」しているのは誰か? 「経営者ワルモノ論」の位置づけ
http://mojix.org/2009/07/21/bundan_warumono
城繁幸氏の論考 「貧困ビジネスで稼ぐ連中」
http://mojix.org/2008/09/28/joe_hinkon