2011.01.16
「内部労働市場」と「外部労働市場」、ハーシュマンの「声と退出」
池田信夫氏が紹介している、NIRAの政策レビュー「「個」の自律を考える」を読んでみた。

NIRA - 政策レビューNo.49(2010/12)「「個」の自律を考える」
http://www.nira.or.jp/president/review/entry/n101224_503.html
本文PDF
http://www.nira.or.jp/pdf/review49.pdf

<本号では、職場や家庭を巡る環境が大きく変化する中で、「個人」が「自ら力を発揮し、また他人にも貢献しながら、粘り強く働くこと」について、多様な視点から考察しています>。

冒頭にある、伊藤元重氏による概論「壮大な社会的ロス」がとてもいい。

<就労や雇用の問題は、日本経済が直面するもっとも重要な問題である。就労や雇用は狭義の経済問題を超えて、国民生活の様々な面に関わる問題でもある。就労についての世の中で取り上げられる様々な問題を見ても、日本の雇用や就労の仕組みが大きな資源配分の歪みをもたらしていることが分かる>。

この見方にはまったく同感だ。雇用の問題はいまや、経済や資源配分の問題を超えて、国民の「生活」の問題である。雇用制度の歪みによって、国民は疲弊し、将来に希望を持てないでいる。

<失業率は増加の傾向にあり、とりわけ新卒や若年層の雇用環境が厳しい。諸外国に比べて日本の20代や30代の若者の自殺率が高いのは、雇用の問題と無関係ではない。高い失業率にも関わらず、多くの労働者の労働時間は長く、有給休暇を十分に取得できない人が多くいる。労働現場のストレスは高まるばかりであり、職場のストレスから精神疾患になる人も増加傾向にあるようだ>。

休みなく働いても、食うのがやっとの安月給の人がいる一方で、「ソリティア社員」のように、ほとんど働かずに高給を得ている人もいる。こういう不公平が生じるのは、日本の雇用制度がおかしいからだ。

伊藤氏はその原因を、日本では「内部労働市場」と「外部労働市場」のうち、前者ばかりを発達させたため、後者が貧弱であるからだ、と分析している。この2つの違いは、池田信夫氏のわかりやすい表現を借りると、次のように対比できる。

内部労働市場: 長期雇用―年功賃金―困難な解雇―困難な転職
外部労働市場: 競争的―成果に応じた賃金―容易な解雇―容易な転職

つまりここでの「内部」「外部」とは、「会社の内部」「会社の外部」である。

内部労働市場: 労働者はひとつの会社でずっと勤めあげ、年功賃金を受け取るというモデル
外部労働市場: 労働者は必要に応じて会社を変え、成果に応じた賃金を受け取るというモデル

と言ってもいい。

日本で「外部労働市場」が貧弱であることの弊害を、伊藤氏はハーシュマンの「声と退出」を引きながら、このように述べている。

<働く場で様々な不都合があり、個々の労働者が自律性を持って自らにとっても、そして企業や社会にとっても、好ましい選択ができないとしてみよう。こうした場合、何ができるだろうか。アルバート・ハーシュマンは、「声と退出」という含蓄の深い考え方を提起している>。

<働く場に問題があるとき、「声」を出して組織内の改革をするのが「声」のメカニズムである。労働組合を通じて改善を求めてもよいし、直接上司や同僚に相談することもできる。組織内の話し合いの中で改善の道を検討することもできる。こうした「声」のメカニズムなしには、組織は一日たりとも動かないだろう>。

<しかし、「声」だけで組織の問題が解決されるとは限らない。現実問題としても就労の場で個の自律が制約されているとすれば、それは「声」という組織内の自浄作用のメカニズムだけで十分ではないからだろう>。

<そこで「退出」のメカニズムが重要となってくる。就労の場で問題があれば、より好ましい就労環境を求めて他の企業に移ることが「退出」のメカニズムである。労働者に多くの退出オプションがあれば、それだけ労働者の選択の幅が広がるはずだ>。

<重要なことは、「退出」のメカニズムが有効に働くことは、結果的に組織を改善する圧力にもなる。優秀な労働者を失うことは企業にとっても大きな損失であるからだ。労働者に「退出」のオプションがあれば、それだけ組織に対する「声」の影響力も増す。「声」と「退出」という二つのメカニズムが両方機能するとき、就労の場は労働者にとってより好ましいものとなるはずだ>。

<日本で外部労働市場が未発達であることは、労働者にとって「退出」のメカニズムが十分に使えないことを意味する。それだけ就労における個の自由度は制限され、組織に問題があったとしてもそれを是正する「声」の力も弱くなるのだ>。

この話は、このブログでたびたび書いてきた、なぜ日本ではブラック会社が淘汰されないかという話と同じである(「なぜ日本ではブラック会社が淘汰されないのか 日本は雇用の流動性が低いから、労働者の価値が低い」、「解雇規制は労働者の利益になっているのか?」など)。

日本の解雇規制は、一見したところ労働者にとって有利な制度であり、労働者を「保護」しているように見える。しかし、これによって企業は正社員採用をためらうようになるので、雇用が減り、社員は転職がむずかしくなる。転職がむずかしいために、伊藤氏が書いている「退出」という選択肢を、社員は持てなくなる。つまり会社との交渉において、「私の希望が受け入れられないなら、会社を辞めます」という「交渉カード」を出すことができないのだ。これができないために、安月給やひどい待遇を甘んじて受けるしかなくなる。これこそ、日本でブラック会社が淘汰されない原因だろう。ひどい待遇であっても、社員が逃げ出さないのだ。

逆に、日本の雇用構造を社員側から最大限に「利用」しているのが、「ソリティア社員」のような人たちである。こんな人たちはただちにクビにすれば良さそうなものだが、日本は解雇規制があるために、会社はこの人たちをそうかんたんにクビにできない。この場合、「退出」できないのは企業側である。

要するに、日本では企業と労働者がいったんくっついたら、なかなか離れられないようになっているのだ。「退出」できないのである。だから、ブラック会社やソリティア社員のように、くっついた相手から「搾取」するという悪質な戦略が成り立ち、これが生き延びてしまうのだ。

「退出」できないとは、「やりなおし」できないこと、「失敗」できないことを意味する。「失敗」できないのでは、「チャレンジ」はできないだろう。日本で「チャレンジ」が出てこないのは、日本人の精神や気質という以上に、「退出」「やりなおし」「失敗」ができないような制度に起因する部分が大きいように思う。


関連エントリ:
契約の成立には双方の合意が必要だが、契約の解除にも双方の合意が必要なのか?
http://mojix.org/2010/08/12/contract-agreement
失敗できない日本
http://mojix.org/2010/03/07/shippai_dekinai
鶴 光太郎「日本の労働市場制度改革」
http://mojix.org/2009/07/12/tsuru_roudou_sijou
なぜ日本ではブラック会社が淘汰されないのか 日本は雇用の流動性が低いから、労働者の価値が低い
http://mojix.org/2009/07/09/why_black_company