中小企業では解雇規制が有名無実になっているとして、それは中小企業と解雇規制のどちらが悪いのか?
先日の「なぜ日本ではブラック会社が淘汰されないのか 日本は雇用の流動性が低いから、労働者の価値が低い」が、労働法政策の専門家である濱口桂一郎氏のブログで採りあげられた。このように議論がすぐにひろがっていき、専門家の意見が出てくるというのは、ネットやブログの素晴らしいところだ。
EU労働法政策雑記帳 - クビ代1万円也
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-fb88.html
<この手の議論は、(自分がいた)大企業を日本社会のすべてだと思いこんで、中小零細企業の実態が頭から欠落しているところに特徴があります>。
他の論者はわからないが、私はこれまで中小零細企業にしかいたことがないし、むしろ積極的に中小零細企業の立場から発言しているつもりだ(これについては、「セーフティネットは会社の外に置き、「身分制度」をなくせ」などで書いている)。
<そういう実態が一番分かるのは、実は労働行政の現場です。実際に中小零細企業の労働者がどれだけ簡単に「おまえはクビだ」といわれているかは、その中の一部(とはいえ、裁判に訴えるなどというとんでもないウルトラレアケースに比べればそれなりの数に上りますが)の人々が労働局や労働基準監督署の窓口にやってきて相談している状況を見れば分かります>。
中小零細企業の労働者が、簡単に「おまえはクビだ」と言われているという現実は、おそらくその通りだろうと思う。
解雇規制の議論では、この「中小企業では解雇規制があまり守られておらず、有名無実になっている」という意見をよく聞く。このエントリでは、この部分に注目して少し考えてみたい。
「中小企業では解雇規制があまり守られておらず、有名無実になっている」という意見はたいてい、「どうせ中小企業では解雇規制を守っていないんだから、解雇規制を撤廃する必要はない」という意味で、解雇規制に賛成する人が述べることが多い。今回の濱口氏もその線だろう。
しかし私から見れば、「中小企業では解雇規制があまり守られておらず、有名無実になっている」のであれば、それはまさに、解雇規制が「悪法」であることを証明していると思う。
給料に見合う働きをしていない社員がいた場合、大企業はその社員を配置転換や転勤、子会社に転籍させるなどで、なんとかクビを切らずにやっていく余裕があるが(末尾の「関連」参照)、中小企業にはそんな余裕がないので、クビを切らざるをえない。
この現実に対して、「それは解雇規制を守らない中小企業が悪い」「解雇規制を守らないのはブラック会社だ」という見方をする人が必ずいるだろうが、それこそ現実のビジネスを知らない空論だ。中小企業を自分で経営してみればすぐにわかるし、自分で経営しないまでも、中小企業の現場を知っていれば大体予想がつくと思う。
もし、解雇規制を守らないのは中小企業が悪いのだとして、監督の強化や厳罰化を進めていったら、どうなるか。それこそ、行政コスト(税金)を増やすだけで、日本の中小企業はバタバタ潰れていくだろう。そして起業もますますリスクが高くなるので、起業も減ってしまう。潰れるばかりで、起業も減るのでは、会社の数は減る一方だ。そして大企業でさえ、正社員解雇の規制がいま以上に強化されれば、ますます正社員採用を回避するインセンティブが強まり、なるべく正社員は使わない(アルバイトや派遣、アウトソースを増やす)という方向に行くのは明らかだろう。
解雇規制が「悪法」ではなく、真に社会全体の利益を高める法規制であるならば、徹底的に監督を強化し、違反者を厳罰に処することで、社会全体の利益はさらに増すはずだ。しかし現実にそんなことをすれば、日本の中小企業がどんどん減っていき、起業も減って、大企業も正社員を減らしていくだろう。すると雇用自体が減って、失業者もますます増えていく。社会全体の利益が増すどころか、社会の利益はどんどん失われていき、日本はいっそう暗い、望みのない国になっていくだろう。
おそらく国の側も、内心では解雇規制が絶対善であるとは思っておらず、それをうすうすわかっているので、厳罰化に踏み切らないのだろう。解雇規制は、日本の企業や経済の足を引っぱっており、労働需要を減らし、正規・非正規の格差などさまざまな問題を引き起こしていることを知りつつも、「会社のセーフティネット化」が目的なのだから、なくすこともできない、というジレンマがあるのだろう。
「セーフティネットが必要だ」ということ自体は、ほとんど疑問の余地がないのだから、問題は「セーフティネットをどこに、どう作るか」という「制度設計」の話なのだ。私が解雇規制に反対するのは、「セーフティネットは不要だ」と言っているのではなくて、「会社のセーフティネット化」は誤りであり、コストと副作用が大きすぎる、と言っているだけだ。つまり、解雇規制という制度は「設計ミス」なのだ。
会社をセーフティネット化するのではなく、会社の外にセーフティネットを作り、会社は解雇も自由にして価値を創出することに専念させ、セーフティネットは国のレベルで作ったほうがいい、というのが私の主張である。そして私の理解する範囲では、解雇規制に反対する論者であっても、セーフティネット自体が不要であるという主張はあまり聞かない。アンソニー・ギデンズの言葉を借りれば、「仕事を守る」のではなく「人を守る」べきだというのが、解雇規制緩和論者の基本的な考え方だ。この点では、「負の所得税」を提唱したミルトン・フリードマンから、北欧のフレキシキュリティ政策に至るまで、基本的な考え方は同じだと思う。
以前「成長論者と分配論者が合意できる「解」とは?」で採り上げた、山口二郎氏と竹中平蔵氏の対談においても、山口二郎氏はこう述べている。
<欧州の中道左派勢力も、最近はグローバル化の波に抗うのは無理だという現実を前提に政策を作るんですね。長期安定雇用のモデルは現実的ではないと。そこで「柔軟化」という考え方が出てくるわけですが、そのためにはボトム、すなわち失業給付だとか職業訓練だとかの政策的な支えを整備する必要があるというのが、共通認識になっています>。
ヨーロッパでは、自由経済より社会保障重視の「中道左派」すら、<グローバル化の波に抗うのは無理>、<長期安定雇用のモデルは現実的ではない>と理解しているのだ。アンソニー・ギデンズ(ブレア政権のブレーンでもあった)の発言や、北欧のフレキシキュリティ政策がそれを裏付けている。これに対して日本は「左右」問わず、市場に介入する規制が大好きで、自由経済重視のはずの「右派」すら、ヨーロッパの中道左派もビックリの「大きな政府」論者だったりする。国民や会社を自由にしておくとロクなことがないので、規制によって縛ったほうがいい、という「統制」好きな考え方や、国民や会社を基本的に信用していないという「不信」が日本では根強いのかもしれない。
濱口氏はエントリの最後に、<解雇の金銭解決問題をもう一度きちんと議論し直す必要があると痛感します。不当解雇は無効だからいつまでも地位確認で給料払えでやるべきで、金銭解決はけしからんというのは、大企業バイアスなんですね>と書いている。これには私も大賛成であり、「金銭解決はけしからん」とはまったく思わない。解雇規制に反対する論者も、おそらく私と同様、むしろ金銭解決には賛成のはずだ。「1万円で放り出してもOK」と考える人はほとんどいないと思う。
例えば「給料の半年分払えば、企業は無条件に即時解雇できる」ということになれば、企業にとって解雇のコストが明確になるので、かなり採用しやすくなる。社員の側も、半年分もらえることが確実なのであれば、解雇を受け入れる心理的なカベも低くなるだろうし、実際に半年分あれば、転職や起業のための余裕も出てくる。
日本の現状では、会社の側はなかなかクビを切れないので、自主退職に追い込む「いじめ」みたいなことが起きやすい。社員の側も、転職先がなかなか見つからないし、蓄えもなければ、クビを受け入れられず、「いじめ」にも耐えて無理やり居座る、ということになりやすい。これが「給料の半年分で即時解雇」というふうにコストが明確化すれば、少なくとも会社側は大歓迎だろうし、社員も「いじめ」に耐えて、つまらない仕事をさせられるよりは、半年分もらってスパッと辞めたほうがいい、と考える人は少なくないだろう。「給料の半年分で即時解雇」が成立している状態では、いまの日本よりはるかに転職がしやすくなり、給料・待遇も上がっていて、「属性弱者」も採用されやすくなっている、という点にも注目してほしい。
濱口氏はヨーロッパの労働法政策の専門家なので、日本の労働法政策がどのくらい立ち遅れているかは、おそらく誰よりも強く認識していると思う。「中小企業では解雇規制があまり守られておらず、有名無実になっている」という現状認識や、「解雇の金銭解決問題をもう一度きちんと議論し直すべき」という問題意識の点では、私は濱口氏の見解にまったく賛成であり、「現状には問題がある」という認識では、それほど違わないように感じた。ともかくこのように議論が起きて、労働や雇用という重要なテーマについて、いろいろな問題意識や見解が出てくること自体がまず重要であり、特に濱口氏のような専門家の意見は貴重である。ぜひ今後も、今回のように有意義な反応をいただければうれしい。
関連:
モトログ - 日本の転職しにくさは、解雇規制のせいじゃないと思う
http://d.hatena.ne.jp/kagakaoru/20090128/1233155296
「日本は企業内に転職市場が完備されている」という見解。これこそ大企業しか考慮していない、中小企業には通用しない考え方であり、「大企業バイアス」の例だろう。
関連エントリ:
成長論者と分配論者、その対立点と合意点
http://mojix.org/2009/02/04/seichou_bunpai2
「規制脳」は国を滅ぼす
http://mojix.org/2009/01/05/kiseinou
解雇規制は「会社のセーフティネット化」だ
http://mojix.org/2008/06/05/safety_net_in_company
EU労働法政策雑記帳 - クビ代1万円也
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-fb88.html
<この手の議論は、(自分がいた)大企業を日本社会のすべてだと思いこんで、中小零細企業の実態が頭から欠落しているところに特徴があります>。
他の論者はわからないが、私はこれまで中小零細企業にしかいたことがないし、むしろ積極的に中小零細企業の立場から発言しているつもりだ(これについては、「セーフティネットは会社の外に置き、「身分制度」をなくせ」などで書いている)。
<そういう実態が一番分かるのは、実は労働行政の現場です。実際に中小零細企業の労働者がどれだけ簡単に「おまえはクビだ」といわれているかは、その中の一部(とはいえ、裁判に訴えるなどというとんでもないウルトラレアケースに比べればそれなりの数に上りますが)の人々が労働局や労働基準監督署の窓口にやってきて相談している状況を見れば分かります>。
中小零細企業の労働者が、簡単に「おまえはクビだ」と言われているという現実は、おそらくその通りだろうと思う。
解雇規制の議論では、この「中小企業では解雇規制があまり守られておらず、有名無実になっている」という意見をよく聞く。このエントリでは、この部分に注目して少し考えてみたい。
「中小企業では解雇規制があまり守られておらず、有名無実になっている」という意見はたいてい、「どうせ中小企業では解雇規制を守っていないんだから、解雇規制を撤廃する必要はない」という意味で、解雇規制に賛成する人が述べることが多い。今回の濱口氏もその線だろう。
しかし私から見れば、「中小企業では解雇規制があまり守られておらず、有名無実になっている」のであれば、それはまさに、解雇規制が「悪法」であることを証明していると思う。
給料に見合う働きをしていない社員がいた場合、大企業はその社員を配置転換や転勤、子会社に転籍させるなどで、なんとかクビを切らずにやっていく余裕があるが(末尾の「関連」参照)、中小企業にはそんな余裕がないので、クビを切らざるをえない。
この現実に対して、「それは解雇規制を守らない中小企業が悪い」「解雇規制を守らないのはブラック会社だ」という見方をする人が必ずいるだろうが、それこそ現実のビジネスを知らない空論だ。中小企業を自分で経営してみればすぐにわかるし、自分で経営しないまでも、中小企業の現場を知っていれば大体予想がつくと思う。
もし、解雇規制を守らないのは中小企業が悪いのだとして、監督の強化や厳罰化を進めていったら、どうなるか。それこそ、行政コスト(税金)を増やすだけで、日本の中小企業はバタバタ潰れていくだろう。そして起業もますますリスクが高くなるので、起業も減ってしまう。潰れるばかりで、起業も減るのでは、会社の数は減る一方だ。そして大企業でさえ、正社員解雇の規制がいま以上に強化されれば、ますます正社員採用を回避するインセンティブが強まり、なるべく正社員は使わない(アルバイトや派遣、アウトソースを増やす)という方向に行くのは明らかだろう。
解雇規制が「悪法」ではなく、真に社会全体の利益を高める法規制であるならば、徹底的に監督を強化し、違反者を厳罰に処することで、社会全体の利益はさらに増すはずだ。しかし現実にそんなことをすれば、日本の中小企業がどんどん減っていき、起業も減って、大企業も正社員を減らしていくだろう。すると雇用自体が減って、失業者もますます増えていく。社会全体の利益が増すどころか、社会の利益はどんどん失われていき、日本はいっそう暗い、望みのない国になっていくだろう。
おそらく国の側も、内心では解雇規制が絶対善であるとは思っておらず、それをうすうすわかっているので、厳罰化に踏み切らないのだろう。解雇規制は、日本の企業や経済の足を引っぱっており、労働需要を減らし、正規・非正規の格差などさまざまな問題を引き起こしていることを知りつつも、「会社のセーフティネット化」が目的なのだから、なくすこともできない、というジレンマがあるのだろう。
「セーフティネットが必要だ」ということ自体は、ほとんど疑問の余地がないのだから、問題は「セーフティネットをどこに、どう作るか」という「制度設計」の話なのだ。私が解雇規制に反対するのは、「セーフティネットは不要だ」と言っているのではなくて、「会社のセーフティネット化」は誤りであり、コストと副作用が大きすぎる、と言っているだけだ。つまり、解雇規制という制度は「設計ミス」なのだ。
会社をセーフティネット化するのではなく、会社の外にセーフティネットを作り、会社は解雇も自由にして価値を創出することに専念させ、セーフティネットは国のレベルで作ったほうがいい、というのが私の主張である。そして私の理解する範囲では、解雇規制に反対する論者であっても、セーフティネット自体が不要であるという主張はあまり聞かない。アンソニー・ギデンズの言葉を借りれば、「仕事を守る」のではなく「人を守る」べきだというのが、解雇規制緩和論者の基本的な考え方だ。この点では、「負の所得税」を提唱したミルトン・フリードマンから、北欧のフレキシキュリティ政策に至るまで、基本的な考え方は同じだと思う。
以前「成長論者と分配論者が合意できる「解」とは?」で採り上げた、山口二郎氏と竹中平蔵氏の対談においても、山口二郎氏はこう述べている。
<欧州の中道左派勢力も、最近はグローバル化の波に抗うのは無理だという現実を前提に政策を作るんですね。長期安定雇用のモデルは現実的ではないと。そこで「柔軟化」という考え方が出てくるわけですが、そのためにはボトム、すなわち失業給付だとか職業訓練だとかの政策的な支えを整備する必要があるというのが、共通認識になっています>。
ヨーロッパでは、自由経済より社会保障重視の「中道左派」すら、<グローバル化の波に抗うのは無理>、<長期安定雇用のモデルは現実的ではない>と理解しているのだ。アンソニー・ギデンズ(ブレア政権のブレーンでもあった)の発言や、北欧のフレキシキュリティ政策がそれを裏付けている。これに対して日本は「左右」問わず、市場に介入する規制が大好きで、自由経済重視のはずの「右派」すら、ヨーロッパの中道左派もビックリの「大きな政府」論者だったりする。国民や会社を自由にしておくとロクなことがないので、規制によって縛ったほうがいい、という「統制」好きな考え方や、国民や会社を基本的に信用していないという「不信」が日本では根強いのかもしれない。
濱口氏はエントリの最後に、<解雇の金銭解決問題をもう一度きちんと議論し直す必要があると痛感します。不当解雇は無効だからいつまでも地位確認で給料払えでやるべきで、金銭解決はけしからんというのは、大企業バイアスなんですね>と書いている。これには私も大賛成であり、「金銭解決はけしからん」とはまったく思わない。解雇規制に反対する論者も、おそらく私と同様、むしろ金銭解決には賛成のはずだ。「1万円で放り出してもOK」と考える人はほとんどいないと思う。
例えば「給料の半年分払えば、企業は無条件に即時解雇できる」ということになれば、企業にとって解雇のコストが明確になるので、かなり採用しやすくなる。社員の側も、半年分もらえることが確実なのであれば、解雇を受け入れる心理的なカベも低くなるだろうし、実際に半年分あれば、転職や起業のための余裕も出てくる。
日本の現状では、会社の側はなかなかクビを切れないので、自主退職に追い込む「いじめ」みたいなことが起きやすい。社員の側も、転職先がなかなか見つからないし、蓄えもなければ、クビを受け入れられず、「いじめ」にも耐えて無理やり居座る、ということになりやすい。これが「給料の半年分で即時解雇」というふうにコストが明確化すれば、少なくとも会社側は大歓迎だろうし、社員も「いじめ」に耐えて、つまらない仕事をさせられるよりは、半年分もらってスパッと辞めたほうがいい、と考える人は少なくないだろう。「給料の半年分で即時解雇」が成立している状態では、いまの日本よりはるかに転職がしやすくなり、給料・待遇も上がっていて、「属性弱者」も採用されやすくなっている、という点にも注目してほしい。
濱口氏はヨーロッパの労働法政策の専門家なので、日本の労働法政策がどのくらい立ち遅れているかは、おそらく誰よりも強く認識していると思う。「中小企業では解雇規制があまり守られておらず、有名無実になっている」という現状認識や、「解雇の金銭解決問題をもう一度きちんと議論し直すべき」という問題意識の点では、私は濱口氏の見解にまったく賛成であり、「現状には問題がある」という認識では、それほど違わないように感じた。ともかくこのように議論が起きて、労働や雇用という重要なテーマについて、いろいろな問題意識や見解が出てくること自体がまず重要であり、特に濱口氏のような専門家の意見は貴重である。ぜひ今後も、今回のように有意義な反応をいただければうれしい。
関連:
モトログ - 日本の転職しにくさは、解雇規制のせいじゃないと思う
http://d.hatena.ne.jp/kagakaoru/20090128/1233155296
「日本は企業内に転職市場が完備されている」という見解。これこそ大企業しか考慮していない、中小企業には通用しない考え方であり、「大企業バイアス」の例だろう。
関連エントリ:
成長論者と分配論者、その対立点と合意点
http://mojix.org/2009/02/04/seichou_bunpai2
「規制脳」は国を滅ぼす
http://mojix.org/2009/01/05/kiseinou
解雇規制は「会社のセーフティネット化」だ
http://mojix.org/2008/06/05/safety_net_in_company