2010.08.10
みんなの党が1周年 ブレない「小さな政府」路線で支持がひろがる
昨年の8月8日に結党されたみんなの党が1周年を迎えた。山内康一氏が、結党の頃をふりかえっている。

山内康一 の「蟷螂(とうろう)の斧」 - みんなの党1周年:雑感
http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-cc5b.html

<昨日(8月8日)がみんなの党の結党1周年でした。
特にイベントはありませんでしたが、そこもうちの党らしいです。
余計なことにコストをかけないのが、みんなの党の良さです>。

<思えば1年前の今ごろは、衆議院選挙の直前でした。
私も自民党を離党して、みんなの党の結党に参加したものの、
選挙区は決まっておらず、先行きの見えない宙ぶらりん状態でした>。

<政治記者や政治評論家の多くは、みんなの党にまったく期待せず、
民主党ブームの影に隠れた泡沫政党・泡沫候補という扱いでした。
1年前、私の周辺の人たちのほとんどが、落選確実だと思っていました>。

<離党や新党参加についていろんな人に相談し、ほとんどの人に止められました。
あの頃にみんなの党の可能性について肯定的な評価をしていた人は、
ごくごくわずかしかいませんでした。ほんの数人でした>。

<正直言って、私自身も選挙戦を生き残る見込みはあまりないと思っていました。
落選した後の片づけが楽になるようにと、議員会館の書類を整理しました。
あのとき書類をだいぶ減らしたお陰で、先月の議員会館の引越しは楽でした>。

<自民党に残っていても恐らく落選、みんなの党に参加しても恐らく落選、
という二者択一の状況の下で、どうせ落選するなら納得のいく道を選ぼう、
というのが1年前の今ごろの心理状態でした>。

<まったく共感できない麻生総裁の下の自民党の一員として討ち死にするより、
せめて共鳴できる理念を掲げた渡辺代表の下で討ち死にした方がマシだ、
という破れかぶれ状態でのみんなの党への参加でした>。

私は2008年頃から山内氏に注目してきたが、自民党を離党したあとの山内氏は、まさに「お先真っ暗」という感じだったようで(<自らの後援会組織もいまや壊滅的な状況にあります>と書いていた)、当選するとはほとんど考えられない状況だった。

山内氏が自民党を離れる前の2009年7月、私は「「小さな政府」、構造改革、経済成長路線の新党を待望する」というエントリで、このように書いた。

<山内氏のような構造改革派、「小さな政府」を志向する政治家は、いまこそ自民党を出て、新党を作って欲しい。自民党内で構造改革派・「小さな政府」派が主流になれないことはもう明らかだろうし、いまやこれほど劣勢な自民党にいても「数のメリット」はもう薄いだろうから、いっそ自民党を出たほうがいいと思う。またそのことで、自民党の論理や派閥より、自分の政策や信念を優先することをより明確にアピールできると思う>。

<「小さな政府」を基本方針とする政党がいまの日本にできれば、それなりに支持を集めるはずだ。私の予想では、まず経済人を中心とした自民党支持層の一部は、この政党に流れる。さらに、いわゆる「無党派層」の一部もこの政党に共感するだろう。「無党派層」とは決して「無関心層」なのではなく、いまの日本には支持できるマトモな政党がない、と判断している人が大半のはずだ。この層は数としては相当に大きく、小泉自民党の大勝利をもたらしたのも主にこの層だ。小泉自民党はまさに「小さな政府」路線だったわけだから、この層のうちいまでも「小さな政府」に共感する人は少なくないと思う。日本には「小泉・竹中路線が日本を潰した」と考えるような人もいるが、少なくとも「小さな政府」志向の人間はそうは考えず、むしろ日本を救ったと考えるだろう>。

こう書いたのが昨年の7月18日で、その3日後の7月21日に衆議院が解散し、山内氏はその日に自民党を離党した(「山内康一氏が自民党を離党 構造改革路線、「小さな政府」路線の正統な継承者」)。

衆議院の解散後、昨年1月に行革相を辞任していた渡辺喜美氏と、渡辺氏と共に「国民運動体 日本の夜明け」を始めていた江田憲司氏の2人が中心となって、新党「みんなの党」ができると報じられた。その結党メンバーには、山内氏の名前もやはり入っていた。みんなの党とは、まさに私が書いていた<「小さな政府」を基本方針とする政党>そのもの、山内氏が「ベンチャー政党」と書いていた政党そのものであり、山内氏が加わるのはごく自然だった。

いまでこそ注目されているみんなの党だが、昨年の衆議院解散後は「民主党フィーバー」とも言うべき状況で、「小さな政府」や「構造改革」は逆風もいいところ、まさに滅亡寸前という感じだった。民主党はもちろん、自民党ですら「小さな政府」や「構造改革」をいっさい口にしなくなり、民主党と区別のつかないバラマキ路線だったのだ。

そして総選挙の結果、評判通り民主党が政権交代を果たした。みんなの党も5議席を獲得して躍進したが、民主党政権となって、「小さな政府」や「構造改革」にあいかわらず逆風が吹いていることには変わりなかった。

その後の成り行きは、ご存知の通りだろう。鳩山政権は前代未聞の迷走を繰りひろげ、日本をガタガタにした。その後の菅政権も、国民の期待を見事に裏切るカンチガイぶりで、民主党は参院選で大敗した。

こうした成り行きがあって、みんなの党にいま期待と注目が集まっているわけだ。実際、参院選でみんなの党は大躍進した

冒頭のエントリで、山内氏はこう書いている。

<あとになって「うまいことやったな」といった変な褒め言葉をいただいたり、
「山内は計算高い」とか、いろんなことを言われ、非難もされましたが、
決して計算どおりに行ったわけでもありません。むしろ予想外でした>。

ずっと信念を持ち、リスクも取り、努力を続けた末に成功した人に向かって、「うまいことやった」「計算高い」といった失礼なことを言う人はいる。そういうふうにしか見られない人は、成功のかげには信念と努力があることを知らず、努力せずに結果だけを、成功だけを欲しがる人だろう。無名のうちは見向きもしなかったのに、成功したらとたんに寄ってくるような人、「勝ち馬に乗りたがる」人はよくいる。

みんなの党というのはまさに、この「勝ち馬に乗りたがる」ようなタイプと反対の、「独立精神」の持ち主が集まった政党だろう。いまではみんなの党もそれなりに大きくなりつつあるようだが、特に結党時のメンバーは、何もないところから「ベンチャー政党」を立ち上げた人たちであり、その「独立精神」には疑いの余地がない。

日本をほんとうに動かすためには、党の規模が大きくなることは避けられないし、大きくなるべきだろう。肝心なことは、規模が大きくなっても、結党時からの「独立精神」やベンチャースピリット、揺るぎない信念を維持できるかどうかだ。

みんなの党への支持が拡大しているのは、その「小さな政府」路線が、いまのところブレないからだろう。これがもしどこかで、勢力の拡大そのものを狙いはじめ、目的のために手段を選ばないようになってきたりすれば、コアな支持層が離反して、中身のない政党になっていくだろう。

みんなの党はもう無名の新党でなく、一定の勢力も得て、チヤホヤされはじめている。こういうときこそ、結党時の「独立精神」やベンチャースピリットに、いちど立ち返るべきかもしれない。これからもブレない「小さな政府」路線で、いっそう躍進してくれることを期待する。


関連エントリ:
日本にこんな政治家がいることに感動 吉田鈴香「世界の中のニッポン」 みんなの党・渡辺喜美代表インタビュー
http://mojix.org/2010/04/22/yoshida_minna_interview
みんなの党は「政策の党」 市場メカニズム重視・自由主義の「小さな政府」路線
http://mojix.org/2009/09/07/your_party5
みんなの党は「独立精神」の集まり 浅尾慶一郎氏、山内康一氏に注目
http://mojix.org/2009/09/01/your_party4
「みんなの党」結成
http://mojix.org/2009/08/09/your_party2
山内康一氏が自民党を離党 構造改革路線、「小さな政府」路線の正統な継承者
http://mojix.org/2009/07/24/yamauchi_ritou